アヒルや豚もおっとりした街 1999年春、カンボジア=タイのボーダーがとうとう開かれたとき、タイに溜まっていたパッカーたちがどれだけこの朗報に沸いたかは想像に難くない。しかしそのとき、ほとんどの旅人達の目は、かつてタイ国鉄とも繋がっていたポイペト=アランヤプラテート国境に注がれていた。アンコール・ワットへの近道が用意されていたからだ。その片方で、それまで一部の旅行者の間で知られていたイリーガルな越境ポイント、チャム・イェム=ハートレック国境も開かれた。 ココンの街はチャム・イェムからバイクで15分ほど東へ進み、川を越えた向こう岸にある。ここでの通貨は圧倒的にタイ・バーツ。ビーチやカジノ目当てに来るタイ人観光客も多い。そして街中は、ラオスのそれらを思わせるものの、また違った長閑さと落ち着きを湛えている。そしてなによりここには、他のカンボジアの街で僕が感じたことのない明るさがある。決してこの街の中にあなたはビルや幹線道路やショッピング・センターなどを発見することはできないだろうが、ここにはバーツ経済圏の生活安定感と、地形的に中央権力の混乱(殊にクメール・ルージュによる圧政)を受けてこなかったバックボーンがある。 土の道を歩いていると、よくアヒルや豚に遇う。彼ら・彼女らですら、この街の人のようにどこか親しみやすくて、どこか恥ずかしがり屋な一面を覗かせる。時は弛んだまま、ただ太陽を西へ進める毎日が続く。 |
2000ビーチ そのビーチの名を尋ねたら、「トゥー・サウザンド・ビーチ」だと、はっきりと聞こえた。なんてつまらないネーミングなのだろう。ココンとチャム・イェムを隔てるこの川べりの水遊び場には、たぶん名前なんてなかっただろうし、そのほうがよかったのだ。 川底はへんにぬるぬるしているし、ココンからアクセスする場合にはボートをチャーターしなければならない。彼らは何かにつけてぼろうとするから始末も悪い。それでも、この素朴な浜で、水遊びせずとも、ビールを片手にビーチ・チェアーで寛ぐのも悪くない。クメール語以外にも、タイ語や中国語が聞こえてくることもあろう。 |
ヴィラッ 「もうプノン・ペンに戻る気はない」と流暢な英語で彼は言った。「ココンでは、あの1975年(※)でさえ夜に一人で出歩いて誰かに襲われるようなことはなかったと聞いているよ。ここにはタイ人も多く訪ねてきて、貧困に苦しんでいる人も多くはない。タクシー代わりのバイクだって、みんな新しいものに乗っているだろう」 確かにプノンペンは、もはやどこかしら混沌の代名詞のようになってしまった感がある。ヴィラッという名の彼はそこでもバイク・タクシーの運転手をやっていたが、喧騒と人いきれに手を振り、流れるようにこの街にやって来た。今では、フォーリナーに多少チップを弾んでもらいながら、ココンでバイクを流している。 アジアの多くの商売人がそうであるように、彼もたった一回の客であった僕を半年後の船着場で見つけ、「俺のこと、忘れちまったのか?」と自分のバイクの方に手を引っ張った。 ある日、彼とビールを飲みながら、ことさら政治についてはタブーであるこのカンボジアで、敢えてフン・セン首相の政治体制のことや、これまでのカンボジアの政権の混迷と悲劇について触れてみた。意外なことに、彼は平然とそれらに対して自分なりの意見を述べた。ちょっと当惑した僕を見て、彼は「確かにあまり政治の話は大きな声でしないほうがいい。こうして話ができているのも、僕らが英語でしゃべっているからだ。けれども、ココンでは、それで身柄を拘束しようとするようなポリスはいない。人に聞こえがよくないということだよ」と説明した。 しかし彼は、いずれは資金をためて、ここを出てゆくという。行き先はまだ判らない。経済的にゆとりを持った日本人は、旅行としては世界に旅立つものの、豊かな母国に生活の根を張ることを疑わないようになった。もう南米に移住しようとするような村は出ないだろう。そして僕は、「何をもって僕らは国際性という言葉を口にするのだろう?」とあてのない目を川向こうに向けるヴィラッの横顔をふと見る。 ※ 1975年はカンボジア国民にとっては悪夢のクメール・ルージュのプノンペン凱旋の年である。 |
クメール寺院 これといって名所のないココンで唯一の観光地 |
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散歩でアヒルと出くわす。 あくまでのんびりした街。 |
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大橋がかかる前の船着き場。 | |
2000ビーチの家族連れ。 | |
運転手は客のお金で、平気な顔をしてビールを飲む。 | |
シアヌークヴィルとプノンペンを往復するバスの休憩所レストランにて 猿の眼がこの国の歴史を物語っているようだった。 |
↑ ココンではやたらと動物が元気だ |
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↑ そういうところでは、子供たちも例外なく元気だ |
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↑ シアヌークヴィルまでの船のルーフにて この写真は気に入っているが、このあと大雨にやられた |
↑ 左の写真の横側はこうなっている |
↑ 船着場の食堂の女の子 |
↑ あるとき僕と一緒にカンボジアを旅したみんな 日本人とフィリピン人混成チーム |
↑ 大橋ができる以前、チャム・イェム側からココンにわたってくるための小型ボートが唯一の輸送手段だった |
↑ ココン〜国道4号線間の橋のない川を渡す舟の乗船券 詰めに詰めて一度に6台くらい車を積載できる |
↑ ココン〜シアヌークヴィルを走るピックアップ・タクシーのチケット 20$とあるが、10$くらいには値切れる |
↑ 陸路国境でやられることがあるニセの健康診断書(100Bかかり、これがないと入国できないと言われるが、係官への賄賂となるだけである) |
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