PAILIN
 
異邦者との距離

 宝石とイェン・サリ、その二つの名をこのパイリンに関して耳にしていた。タイ国境付近の山脈は宝石の産地であり、その中継地点になっていること。そして、クメール・ルージュ(ポル・ポト派)の幹部でありながら恩赦を引き換えに現政府に投降したイェン・サリは、この宝石を資金源として今でもこの地を「パイリン特別市」として根を張っているようだ(かつては実効支配していた)ということ。

 この街、というか村には、短い舗装道路が一本しかない。しかも、夜のとばりが下りるのもめっぽう早い。ただそれだけのことならアジアのあらゆるところにあることだが、カンボジアの場合、車やトラックがあげてゆく土ぼこりがはなはだしい。乾いた赤土は粒子が非常に細かくて、けっきょく自分の足で散歩するよりバイクタクシーに跨ったほうが快適だったりする。
 市場に貴金属屋はあった。しかし、タイ側の宝石中継地であるチャンタブリーとは、まったく何もかもが違っていた。おそらく、この国ではその宝石を目にするものはごく一握りの権力者・金持ちだけでよいのだ。

 レストランでも市場でも、これまで廻ったカンボジアのどの町とも違った、人々の僕への距離の置き方。バッタンボアンやコンポンチャム程度の町だと珍しい日本人客に愛想を振りまいてくれるのだが、カタコトのタイ語を話しながらパイリンを訪れる日本人の姿はいっそう珍妙だったのか、町の人たちは半ば恐いもの見たさのような顔でこちらをちらちらと伺う。カンボジア名物の、うるさく付きまとってくるバイクタクシーは一人もいない。こちらが探すのに困るくらいだ。
 果物ジュースを飲んでいると、隣の果物屋の女の子が僕を発見し、あわててお父さんのところに逃げ込んで何かを訴えている。びっくりさせてごめんね、でも少しは家族の何かの話題になってくれたら、それだけでうれしい。


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footprints


朝の市場周辺には人だかりが。
ルビーの産地だが、市場にはそういう店はない。
市場の近くでスイカを露店売り

パラソルもござもなかった。
市場の外観
舗装路は街にほとんどない
朝の寺院
上半身裸の男をけっこう見かけた
夕闇迫る
これから何が始まるのだろう?
焚き火の明かりをまぶしく感じる
街で一番のレストラン
街外れのロータリー

カンボジアの地方の街には、こういったロータリーが多い
人民党の立て看板
少し街外れに行けば、もうこんな感じ

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