SIHANOUKVILLE
 Konpong Som

海と坂のある街

 ココンからのボートを降り、港に屯するバイクタクシーに乗って小高い丘を越えると、坂を降りきったところから小さなシアヌークヴィル(コンポン・ソム)の街が始まる。南シナ海の波間を漂い、ココンからの船に揺られて4時間。このこじんまりとした愛らしい街は、立地条件の通り、プノンペンとココンの中間のような性格を持っている。のどかではあるがどこかに忌まわしい過去を思わせる影が宿っている。埃っぽさが街の未整備のためとも、田舎臭さなのだともいえる。

 僕は個人的には、カンボジア個人旅行が可能になり始めたときに、アンコール・ワットのあるシェムリアプよりこの街にたどり着きたいと思ってきた。過去の遺産よりも、そこに暮らす人々の今の生活に興味があるからだ。カンボジアの代表的なビーチ・リゾートとしてのこの地がどういう姿で現在あるのか。内陸国としてこれまでの歴史を海岸よりも内地の平原にこだわって守ってきたこの国にとって海とは何か。そういうことを知りたかった。そして、そのいくつかは判ったが、いくつかはたぶん永遠の謎のままである。



オーチディル・ビーチ

 カンボジアきってのリゾート・ビーチ、オーチディルで、南シナ海の向こうに夕日が沈んでいくのを、僕はただ見ていた。

 一人旅ではときどき、海に出るのがちょっとばかり寂しいときがある。遊園地に一人でいても同じように感じるだろう。そこには絵に描いたような「幸せの形」がごろごろしているからだ。普段街を歩いていても気にならないカップルや家族連れや友達同士の姿がやけに楽しそうに見え、しかもそれぞれのグループから自分ひとりでつっ立っているポジションがやたらと遠く感じる。
 遮るもののない夕空は、広いというにはあまりに広い。深いオレンジと紫がかった藍色が筋雲に無数の層を浮かべ、僕らはあたかもその真綿のような天にくるまれているようだった。「一人旅での海は…」などと言い出す余裕は、そのときの僕にはもはや残されてはいなかった。

 「わしゃ、この海岸沿いの警察署の署長なんだ」と、40代と思しき男性が声をかけてくる。「今日はオフだけど、いつも仕事帰りにはエクササイズをかねてここへ来て泳いだり走ったりしているんだ」。あたりは暗くなり始めた。「夜は危ないですか?」と聞くと、「今では誰もが夜に普通に海岸に出て来るくらいだよ」と、彼は出店のココナッツ・ジュースを勧めてくれる。そして、「どのホテルだい?」とバイクで僕を送ってくれた。先の出店でお釣りをもらってくるのを忘れるというトンマまで披露して。
 そして僕は思う。この街にも平和が訪れたのだと。しかし、クメール・ルージュによる未曾有の虐殺のせいで40台以上の男性が極端に少ないこの国で、彼はエクササイズで絞らなければならないくらいその下腹を肥えさせてきたのだと。つい数年前まで「ギャングよりも退役兵士よりも、まず警官が信用ならない」といわれたカンボジアの、ある部分をおそらくは彼が担っていたのだろうことを。

 海は美しいだけではない。海は人間界の事情などとはかけ離れたところでたゆとい、満ち干を繰り返すのみだ。しかし、そこに立ったときに、普段は見えないものをその波間から照射する。


大きな地図で見る


シアヌークヴィル瓦版


↑ シアヌークヴィルの市場



↑ 市場前通りの標識
この町には雨も似合う



↑ 女の子が遊んでいるところに犬もまぜてもらっている



↑ 人通りの少ない時間は屋台の長い休憩時間



↑ 旅仲間
プノンペンまでのバスの休憩所にて



◆トップ・ページへ
◆「あの人・この街」目次へ










SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送