那覇


配信とともに歩く那覇

松山の民謡酒場「仲田幸子芸能館」で、ビールをついでくれながらカウンター越しに「今日はステージが終わったのでカラオケでも」と、同世代とおぼしきお姉さんが歌い出した「涙そうそう」に、はっと息を呑んだ。
唸らずにいられないレヴェルにある彼女の歌は、彼女自身の姿勢のようにしゃんとしていながら無駄な力がなく自然体で、しかも夏川りみの上手さを引き立てさえしているように感じた。
新都心(おもろまち)にある居酒屋の「ぱいかじ本店」では、流し風にテーブルを周って三線と歌を聴かせてくれた店員さんがいた。
20代らしき女性の声はぴんとした張りに透明感と清涼感を携えながらも、東シナ海の海原に寄せる波のような力強いうねりを持っていた。
国際通りにある民謡酒場SunSean(歌姫)では、老若男女それぞれの店員さんがみんな、それぞれの味を醸し出した歌声を響かせてくれた。
その中にはかなり古い民謡もあればオリジナル曲もあり、そしてそのすべてが沖縄という土地から少しもぶれずに足を踏ん張っていた。
そして、もう20年ぶりになろうかという沖縄再訪の、そのすべての場面を「リスナーさん」たちとともに過ごした。

LCC(格安航空)網の発達のおかげで、以前では信じられないような価格で実家に帰省することができるようになった。
中でもひときわ目を引いたのが、ピーチ航空のバンコク〜那覇便。
いつか必ず再訪すると心に固く決めていた沖縄を経由して里帰りができるというプランは、これまでのストップオーバー旅行の中でも群を抜いて眩しかった。
出発前からこんなにも心が躍って浮足立った旅行に出られるのは、いったいいつ以来のことだろう。

バンコクで仕事を終え、空港に向かうタクシーの車中からもうすでに、憑りつかれたようにと形容していいほど、携帯で動画配信を続けていた。
これまでほとんど一人旅を舞台としていたし、今回だって正確には同伴者のいない旅だった。
これからも一人旅をやめることはないだろう。
一人で気儘に行き先や時間の都合を決められる自由も、独りになることでしか感じることのできない微細な心の揺れを手探りに感じることも、どちらも大切にしてゆきたい。
その一方、常連さんや新しく覗きに来てくれたリスナーさんたちと配信で向き合って歩く沖縄は、日本は、これまでとまったく違う表情をしていた。
これは形容ではなく現実に――眺めるどの風景もが陽光のような光彩を放って網膜に届いてくる。

レンタルしたスクーターで斎場御嶽(せーふぁーうたき)に向かってトンネルを抜けた眼前にどかんと広がった海と空とを見て、たぶん人生で初めて風景に涙が滲む経験をした(年々涙もろくなっているのもあるけれど)。
そんな思いを分かち合ってくれる人たちがいた。
国際通りでトゥクトゥクを見かけ、タイで見慣れた乗り物だったせいでそれがとても不思議な光景だったことをつい見逃しそうになりながら、一緒にあれっと驚いてくれた人たちがいた。
やちむんの里=壷屋地区を散歩していて出くわした緑の生け垣が続く細道に、時空が揺れるような感覚を一緒に味わってくれる人たちがいた。
そして、歩き慣れない迷い道を照らし、導いてくれる人たちがいた。

配信画面に流れてくるコメントには、その人らしさがあり、息遣いがあり、心の動きがある。
もしかすると、友人や知人として一緒に旅行する状態では言えないような素直な言葉や、大人数の中ではかき消されてしまいがちな繊細な小声の言葉や、声の張り上げ合いを無駄に競うことのないほんわかした軽口がコメントとして流れてくるたび、僕は旅に深く、強くのめり込んでいく。

年月を経て変容していく沖縄の姿を感傷的な眼だけで眺めることなく、それでも変わらない沖縄のありようにもたれかかるだけでなく。
リスナーさんたちと出かける沖縄には、配信というコミュニケイション・スタイルでないと成立しえない和みと緊張が、島を抱く波のように寄せていたのだった。


僕の出発点 =1996年までの訪問日記=

 何の予備知識もないまま、高校の修学旅行で乗せられたバスの車窓から見た那覇は、「これは、日本じゃない!」あまりの鮮烈な印象のため、窓ガラスにへばりついたまま鼻息を荒くした。

 駆け出しのサラリーマン時代、上司に連れられて入った国際通りの有名店「風彈」ではじめて島ラッキョウを食べた。これまで食べてきた酢漬けのラッキョウのイメージしかなかった僕は、そのおいしさに声も出なかった。業者さんと落ち合って、接待で辻地区の店に。こういう時に行くのは女性の接待がある店だという相場は分かっていても、どうにもこの類の店が好きになれなかったが、那覇のその店は嫌みがなくて驚いた。あらゆることに目を丸くする僕の姿に調子づいた上司は、何だか暗い一角に僕を手招きする。相当細い路地にコンクリート造りの小さな建物が肩を寄せ合っているが、ネオンもなく、かといって民家でもない。一言でいえば、非常に不気味な場所だった。しかし、その闇と小さな光には、街が表層のおしゃれな明るさの裏側に釣り合いを取るためのカオスであるような臭いがした。それが公娼であると、彼はしたり顔で教えてくれた。そして僕はこの初めての沖縄出張のときに、市場本通商店街の小さな本屋で「ハイサイ沖縄読本」に巡り合ってアジアへの蒙を啓かれ、ついでに行き帰りの全日空機の中でピチカート・ファイヴの「スウィート・ソウル・レヴュー」とユニコーンの「素晴らしい日々」を初めて耳にして、久々にこの二つのグループに拍手喝采を送った。

 牧志公設市場で買った魚を、2階の食堂で調理してもらって、オリオンビールのグラスを傾ける。旅人然とした楽しみ方だろうけれど、それがとても自由な空間であるような気がしていた、一人での沖縄出張。大学時代の女友達との旅だったときには、喜納昌吉のライブに酔った。台湾へのフェリーの途中で半日寄港したときには、フリーペーパーの取材ネタ探しで下船し、赴いた琉球大学の軽音楽部では新入生とブルースのセッションが行われて、そんな中に僕も加えられてしまった。同じくネタ探しだった沖縄キリスト教短期大学からの帰りのバスでは学生の女の子と知り合い、その自然体に感心した。

 那覇は、いろんな意味で僕の出発点だった。その後、日本という生活の場に疑念を抱き、アジア熱に浮かされ、とうとうタイに移り住んでしまうまでに至った、僕のあらゆる意味でのゲート・ウェイだった。だからこそ、必ずこの人生の中で、もう一度足を運ぶことが約束されている。






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よ〜しーさん

閉店時間前に飛び込んだヤマダ電機で3.2GのSIMカードと600mAの携帯用パワーバンクを買って、近くで夕食を食べようと配信しながら歩き始めたが、グーグルマップのナビはヤマダ電機の入居している「おもろまちPALMA」という名の大きなテナントビルの一角をたらい回しさせるばかりで、さっきから一向に埒が明かない。
しかも、ナビをあきらめてマップだけに頼ってみても、辿り着いたはずの場所には目当ての店の影も幻もなかった。
「はじめまして。ここ、新都心ですか?」
と、初見さん(ツイキャスでは初めて訪問してくれたリスナーさんをそう呼ぶ)の書き込みがあったのは、その前後のことだった。
「沖縄へめんそーれ」
と書き込んでくれたよ〜しーさんは、那覇に住んでいるウチナーンチュ(内地=沖縄人)だそうで、さっそくお奨めの店を尋ねてみた。
「新都心なら、ぱいかじと言う居酒屋が有名だとは思います」
その名前は脳裏の片隅をこつこつと叩いた。

そうだ。
思い出した。
那覇に到着後すぐ、僕は仕事続きで伸び放題だった髪を切るため、目星をつけた新都心の店を当日予約電話していたのだが、慌てていて予約時間より1時間早く着いてしまっていた。
余った時間を過ごすため、ヘアサロンの周囲を歩き回っていたとき、「ぱいかじ本店」の前で写真を撮っているアジア人観光客の姿を見かけた。
ホテルを出るとき、時間を勘違いして焦って飛び乗ったタクシーの運転手さんも、「その美容室はぱいかじ本店の近くですかね?」とも尋ねていた―――もちろんそんなことはまだ知る由もなかったが。

ガーデンテラス風の店に入ると、「ご来店の記念にお写真を一緒に」と、案内係らしき琉装のきれいな女性と写真に納まることに。
のっけから男の一人旅心をくすぐる展開である。
案内された1階席は、伝統的でも現代的でもありつつ嫌みのないインテリアで、くだけすぎもフォーマルすぎもしない居心地の良さが瞬時に感じ取れた。
よ〜しーさんによると、店の窓ガラスにデザインされた八重山の「ミンサー柄」は、四角形が5つと4つのセットに織られたようになっており、そこには「いつ(5)の世(4)にも結ばれて離れないように」との思いが込められているという。
彼のおすすめの海ぶどうは大阪やバンコクで食べたときとは月とすっぽんのフレッシュな香りと歯応えで、豚角煮は皮がモチモチしていながら身はほろほろ。
ふーちばーチャーハンはよもぎが胃に優しかった。
そんなテーブルに三線を抱えた女性がやってきた。
流しのように各テーブルを廻って沖縄の歌を聴かせてくれる店員さんだということだ。
どこまでも伸びる高音、腰のしっかりした低音、飾らない節回し、押しつけがましくない華やかさ。
彼女の弾き語りは、バンドサウンドにまみれて食傷気味だった僕にとって、癒しでもあり励ましでもあった。
お勘定のあとにもらったパイン味のちんすこうすら滋味深い味わいで、僕はすっかりこの店の魅力にすっぽり包まれた。

その後、いったん大阪帰省をはさんで、バンコクに戻る乗り継ぎに1泊2日だけ訪れた那覇。
バンコクと那覇を繋いでくれるピーチ航空には感謝しかない。
配信リスナーさんたちに存在を教わった屋台村で山羊刺しに舌鼓を打ったあと、やちむん(焼物)の里として知られる壺屋で、「わざと道に迷う散歩」に出かけた僕は、もと来た場所にわけもわからず舞い戻ったことに驚いた(以前の訪沖で道を見失ったインパクトがはっきり残っていたのだが、このたびも新鮮にびっくりできて満足この上なし)。
そのまま大通りに出て、「次に来たバスに乗る」という、わざと迷う散歩の続編をすることにして、安里駅下のバス停に到着したとき、よ〜しーさんからのコメントが入った。
「ここなら栄町ありますよ」
栄町という名の昔からある小さな市場が、ゆいレール高架下の道の向こう側にあるそうだ。
瞬時に鼓動が上がった。
当日朝、ホテルをチェックアウトした僕は、レセプションのスタッフに「牧志公設市場以外の庶民的な市場はないですか?」と尋ねたが、どうやら地元の方ではないようで、検索していただいてもわからず仕舞いのままだった。
よ〜しーさん登場の奇跡的タイミングぶりには、天啓とか福音とか、そういったものを配信リスナーの方々ともども、実感せずにはいられなかった。

果たして栄町は、地元使いの飾らず気さくでほんのり温かい、年配の方々から愛される市場だった。
「戦世や済まち みくる世ややがて 嘆くな臣下命ど宝」と書かれた木のボードを路地裏に見つけて、不意に胸が苦しくなった。
たぶんこんな感じですよと、よ〜しーさんが教えてくれたヤマト(本土語)訳は、「戦の世は終わりにして、未来を嘆かず行こうよ仲間よ!」。
「暗いと嘆かず進んで歩いて灯をともそう、的な事だと思います」との意訳コメントを含め、しゃべりつづけることが何よりのはずの配信で、僕は言葉を失いそうになった。
気を取り直して巡ってみた栄町市場は、僕が朝リクエストした「庶民的な市場」という先にぼんやり想像していた姿を遥か遥かに上回った、僕が産まれる前の時代を髣髴させる佇まいで、この散策は、さながら時間旅行となった。
よ〜しーさんをはじめ、リスナーの皆さんが検索で調べてくださったお奨めスポットも巡ることもできて、新しい旅の形に触れる興奮にまたも包まれた。
そんなわけで、僕はかけ離れた二つの時代を行き来しながら、夢見心地で歩を進め続けた。

降り始めた雨をアーケードの隅に眺めながら、今どき60円という価格でジーマミー豆腐を食べつつ、配信でのリスナーさんたちとの会話は尽きることがない。
路上に出したテーブルには将棋用と思われるマス目が引かれており、ここでお惣菜と将棋一局を肴に泡盛の杯を空けるご年配の方々の姿をありありと感じていた。
近くにあった貝専門店では、ティラジャーという初めて聞く貝とカメノテを注文して、軽く一杯。
いかにも沖縄らしい磯の香りに包まれながら、沖縄を巡る旅が大円団を迎えようとしている名残に後ろ髪を強く引っ張られた。

旅から戻ったバンコクで食す、栄町市場で買った島らっきょうは、おそらくこれまで食べたどれよりも美味(しかも安い!)。
地元で愛され続けてきた市場の力が、噛みしめるたびに溢れてくる滋味から伝わってくるばかり。

よ〜しーさんとはいつか、もう一つの庶民的な市場と紹介してもらった農連市場への散策をご一緒できたらと話した。
そんな日の訪れを、じれったさに身をよじる思いで過ごしている今日この頃である。



お店紹介

沖縄料理居酒屋 ぱいかじ
https://paikaji.jp/
お惣菜(ジーマミー豆腐や天ぷらなど) かのう屋 http://sakaemachi-ichiba.net/shop33.html
貝専門居酒屋 ひいき屋 https://hiikiya.owst.jp/
沖縄配信アーカイブ

ぱいかじ最高!
https://ssl.twitcasting.tv/c:minamishou/movie/454557173
https://ssl.twitcasting.tv/c:minamishou/movie/454565421
https://ssl.twitcasting.tv/c:minamishou/movie/454585205

栄町の市場巡り

https://ssl.twitcasting.tv/c:minamishou/movie/457501002
https://ssl.twitcasting.tv/c:minamishou/movie/457510667
https://ssl.twitcasting.tv/c:minamishou/movie/457510667
https://ssl.twitcasting.tv/c:minamishou/movie/457513734
https://ssl.twitcasting.tv/c:minamishou/movie/457517661
https://ssl.twitcasting.tv/c:minamishou/movie/457521952






喜納昌吉

 今は議員となっている喜納昌吉のライヴを見るために、コザからレンタカーを飛ばしてやってきた夜、彼の眼は僕を何度もニヤニヤと眺め、様子をうかがっているようにう見えた。彼にまつわる書籍やインタヴュー記事などで、かつて「見ようとしなくても、人の内面が見える」という発言を繰り返していたことが、先入観となっていたのかもしれないが、彼は僕を試しているような視線を何度も投げかけてきたようにしかどうしても感じられなかった。それくらい、彼の舞台からの存在感が強かったのだともいえる。また、その場にいただれもが僕と同じように感じていたのなら、彼のメッセージは見事に観客の一人一人にしっかりと届いているという証なのかもしれない。ただ、その夜の喜納昌吉は三線の早引きで弦を切ってしまい、ばつが悪いというより、不機嫌そうな一面も見せた。そんな彼の人間臭さがまた面白い。
 そしてその夜の帰り、僕らは那覇の街で道に迷い、何度も同じところをぐるぐるぐるぐる巡り続けた。真和志地区は入り組んだ地域だそうだが、ある程度地図感覚を持っているつもりの僕にはショッキングなくらいに、ひたすら迷い続け、ふと喜納昌吉の笑い声を聞いたような気持ちになった。うん、一筋縄ではいかない。




footprints

2018年
栄町市場
栄町市場
栄町市場
知念岬
知念岬
斎場御嶽
斎場御嶽

写真中央の鍾乳石下にいると、突然不思議な音が!
いまだにその謎が解けていない
斎場御嶽そばの食堂

シーサーの下半身が悲しいことに…
壷屋の路地裏

坂を上ると唐突に、「緑の道」に突入
配信リスナーさんのコメントにあった、ジブリ感漂う時空
壷屋の路地裏

昭和の雰囲気満載の電柱を発見した
折れて用をなさなくなったようだが、
南の島ならではの緑の生命力をありのままに示すモニュメントになっていた
壷屋

植物にまったく疎いながらも、
タイと大阪を結ぶ途上に咲く花だと直感できる
そんな草花や木々に包まれる
那覇空港国際臨時LCCターミナル

PeachとVanilla専用で、カーゴターミナルの一部を流用していた
預け荷物は手で運んできてもらって、パスポートコントロールは駅改札さながら
インフラ整備の整っていない国の空港かと呆気にとられてしまったが、アジアとの接点になる沖縄ならではの雰囲気も漂っていた
牧志公設市場の外れ

アーケードからふと目を遣ると、ここはタイかと見紛う一角が
配色といい、簡素なコンクリート造りの味の出方といい、日本だとは思えず愛着が湧いた
南城市あたりの住宅
首里城

日本様式と中華様式との折衷を強く感じさせてくれる空間
首里城
希望ヶ丘公園

ふらりと立ち寄った公園に、
世界一の大綱(ギネス認定)がどーんと横たわっていた
牧志公設市場2Fの食堂

シャコ貝刺身
ぱいかじ本店

上から時計回りに、もずく天ぷら・フーチャンプルー・突出し3種・ふーちばーじゅーしー・石垣牛の刺身

どれを食べてもハズレなし
流し風の歌と演奏も、店のインテリアも、すべてに唸るしかない
ヤギ刺し

那覇の屋台村にて

癖がなくておいしい
ポン酢も含めてさっぱりした味です
けんぱーのすばやー

新都心のヘアサロンで教えてもらった「近所でおいしい店」
以前の沖縄訪問時には「大阪の沖縄料理店の出汁の方がおいしく感じられる」だったが、
このお店は出汁も麺も肉も最高
SanSean(歌姫)

トイレ入口横にちんまりと
国際通り屋台村

いろんなタイプの沖縄料理店が並んでいるので、
あれこれ試すならここが一番
箸袋

「うめーし」とはなにか?
配信の中で話題を醸した
「おいしいってこと?」

正解:ウチナーグチ(沖縄言葉)では箸のことを「うめーし」と呼ぶそうです
Jet Star機内にて

国際通りでトゥクトゥクを見かけて驚いた
(日ごろトゥクトゥクを見慣れすぎていて、咄嗟には驚けなかったのですが…)

後日、大阪に向かうジェットスター機内で、
たまたま隣にトゥクトゥクレンタカーのスタッフさんが!!
1996年
牧志公設市場

市場に並ぶ魚にはアオブダイもあった。
色とりどりで眩しいばかり。
牧志公設市場

1階の市場で買った食材を、2階で食す。

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