BAN KEUN


本当のラオス人の姿を垣間見る

 ヴィエンチャンの一大バス・ターミナルであるタラート・サオの横からミニバスに乗り込む。隣の席のおばさんに「このバスはバン・クン行きですか?」と訊くと、「そうだよ。でも、何しに行くの?」。もっともな疑問だ。
 僕はパクセーでできた友人に会いに、バン・クンへ行くことにしたのだった。そうでもなければ、名を知ることもない土地だったろう。2000キープ(約23円)しか集めなかったのを変だなと思っていると、大きめのバス・ターミナルでおばさんが「あれに乗り換えるのよ」と教えてくれた。それは街中でも見かけるジャンボという名の乗り合いバスで、トラックの荷台に座席をしつらえた乗り物だ。ジャンボは表通りに出てしばらく客引きのために停車するが、そこにフランス・パン売りのおばさん達が押し寄せ、中でも気の弱そうなラオス人の男の子が執拗にパンを押しつけられ、とても困っていたのがおかしい。
 途中、未舗装道路に入って砂埃を巻き上げたりもしながら、なんとかバン・クンに到着。市場でのみんなの視線は、物珍しげだが優しい。ヴィエンチャンで買って持ってきていたフランス・パンのバゲット・サンドを取り出すと、「そこに掛けなよ」とベンチを譲ってくれる。

 友人とは近くを廻って話をしただけの2時間だったが、あっという間に過ぎ去った。

 夕方5時になって市場の前に戻ってくると、「もうヴィエンチャンに帰るジャンボはない」と待合室に座っている人に言われて焦る。翌朝のフライトでバンコクに戻らなければ、昼からの仕事に間に合わない。時はただ流れ、あたりが薄暗さを濃くしてゆく。バイクで僕を市場の前に送ってくれた友人は、さっきまでは「5時過ぎまで帰りの車がある」と言っていたのに、その舌が乾かぬうちに「もう歩いてヴィエンチャンに戻るしかなさそうだね」と笑っている。なんて優雅な時間の流れ方なのだろう。ピンチにも関わらず感心にふける。
 このアジアでのことだから、どこかで「なんとかなるのではないか」と考えている自分もいた。ラオス人を気取っていたかっただけなのかもしれない。僕らと同じように、来る当てもないヴィエンチャン便の到着を「待つだけ待ってみているだけ」というおじさんも現れた。そして、………はたしてジャンボがやってきた。アジア的だというだけでなく、いかにも社会主義国家らしい。
 帰りの便でもラオス人のおじさんとしゃべり、電話番号を尋ねられた。酔っぱらったおじさんは途中の小さな村で降りて、宵のたき火を始めた細道にふらふらと吸い込まれていった。あとは急に冷たくなった風に吹かれながら、心細い道をひたすら走る。道中、一人の旅行者とも会わない。そして、やる気がなく淀んだ顔をして旅行客を迎えるラオス人の姿もない。ヴィエンチャンが近づいて片道2車線になってから、急に夜が明るくなり、人々の雰囲気が都会的になった。タイから入ってきたばかりのときには心許ない片田舎風情にしか映らなかった街明かりが、いかにも頼もしく感ぜられる。僕はそんな街に、便利さと安心感を求めて宿泊しているただの旅行者だ。でも、いつかバン・クンのような小さな町で暮らせるような日が来ればいいなと、最近そういうことばかり考える。



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footprints

バン・クン市場
人々のまなざしがやさしい
市場は不思議な静寂の中
野良犬ならぬ、野良山羊
道中にあった、ナムグム2・ダム建設現場入り口

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