VIENTIANE


それでもヴィエンチャンである

 「これがあのヴィエンチャンなのか?」。あまりの変貌ぶりに目が回る。古い舗装道路に穴が開き、ちょっと歩けば店も少なく、赤土の道になり、レンタル・バイクはキック・ペダルが壊れていて、人々の姿がまったく垢抜けない。一国の首都とはにわかに信じがたかったあのヴィエンチャンが。

 街路樹や街灯が整然と並び、歩道まできれいに整備された舗装道路が巡っている。夜になっても開いている店が多く、トゥクトゥクも客を待っている。レストランにせよオープン・バーにせよ、他の東南アジア諸国にはあまり感じられないくらいに小粋な店が立ち並んでいる。小奇麗な服を着た男女がピカピカのバイクにまたがっている。タラート・サオの一部が3階建てのショッピング・モールに建て替えられている。西洋人を中心に、旅行者の姿が圧倒的に増えていて、彼ら・彼女らの格好もまた貧乏旅行者を感じさせたかつての様子とはかなりかけ離れている。たしかにバンコクプノンペンも変身した。しかし、ヴィエンチャンのそれはあまりに華麗で、あまりに顕著だ。でも、そのことに対してあまり嫌な気分がしない。そこがすごい。

 それでもヴィエンチャンがあくまでこじんまりとして、落ち着きがあって、さっぱりとしていて、人が穏やかなラオスのよさが失われていないのは、奇跡的なことかもしれない。


=1999年訪問時の記事=

なんにもない、なんにもない、まったくなんにもない

 「何にもないのがラオスの良いところ」と耳にする。本当にそうだと思う。ムアンシンだってサヴァナケットだって、何もないからこそ見える自然の雄大さや素朴な人々の暮らしが美しかったのだ。

 けれど、ヴィエンチャンは残念ながら、僕にとって完璧にラオスの風評どおりに過ぎた。美しいと感じるような何かさえ「何もない」のだ。アヌサワリー(凱旋門)からの見晴らしは素敵だったし、その中階に土産物を並べた出店の中からラオス建国20周年記念の政府発行国土写真集を見つけ求めたのは、首都ヴィエンチャンならではの大きな収穫でもあった。南岸の向こうにメコンとタイのノーンカイを愛でながら飲むビア・ラオだって格別のうまさだった。

 ただ、僕が旅をする上で最も愛した人の情けのようなものが、この街ではくすんで見えない。素晴らしいメコンの夕日も、鄙びた中華料理店で夕涼み客とともに箸を取りながら眺めるのと、これ見よがしなリヴァー・サイド・ビアガーデン風の屋台からとでは、自ずと違って見えるのはいたしかたのないところだ。

 やっぱり、首都なのだと思う。


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ヴィエンチャン粗描 ― ラオスよ、どこへ行くんだ?

 2013年、ルアンナムタームアンシンを回って、翌日のフライト調整のため、1日だけヴィエンチャンに立ち寄った。そんなあまりに短期のステイで何か言うのもおこがましいとは分かっている。でも、なんとしても言わずにはいられない。ラオスよ、お前はどこへ行くんだ?

 さほど大きくない国の首都には、その国の将来図が描かれるのが一般的である。ちょうど、日本のほとんどの地方都市がほとんどリトル・トーキョーと化しているように。これをヴィエンチャンに当てはめると、ラオスはきっと、タイになりたいのだろうと、誰もが想像できるはずだ。確かにもともと、ラオスの多数民族であるラオ族はタイ王国のタイ族と同じルーツだったのだし、また、ヴィエンチャンはメコン対岸がもうタイである。タイと同じ志向性を持ち、タイ化していくのは自明の理なのかもしれない。それでも。

 ラオスにおけるラオ人の人口は、全国民の5〜6割だといわれる。国が認めるだけで68の民族を有する多様性と、山国ゆえ現在までおのおのの民族における独自性の保持が可能になったこの国には、いかにもモノトーンなタイ化が似合わない。現在の世界的な風潮はもうすでに多様化・独自化に向かっているというのに、この状況はどうしたことか。

 内陸国であるため、ラオスはタイ・ヴェトナム・中国・カンボジア・ビルマと国境を接しており、その国境線の長さから最初の3国(タイ・ヴェトナム・中国)の影響が著しい。まず、ラオスは開放政策(チンタナカーン・マイとラボップ・マイ)を採用しているものの、現在も社会主義国家である。以前は「ネオ・ラーオ・イサラ」や「パテート・ラオ」と呼ばれたこの一党独裁政権は、ヴェトナム共産党の影響の下に生まれ、強い繋がりを持ち続けた。タイとは、前述のタイ族の中でも、イサーン(タイ北東部)と民族的に同一であり、言語も食文化かなり共通しており、現在の国境線に確定する以前にはラオス側・タイ側ともにおのおのの国の境界線が内に外に変化してきた。そして中国は、特に経済成長を果たした2000年代以降、南下政策によってビルマとともにラオスへの進出が著しく、これまでの日本の経済協力をものともしない勢いでラオスのインフラ整備を進めている。

 そう、自国のみでの発展が厳しい状況にあるラオスでは、中でもタイと中国との折衝点としていいように利用されているように、僕には見えて仕方がないのだ。大国主義の中国がカンボジアへの影響力をますます強めているが、陸続きではない。ヴェトナムとは歴史上折り合いが悪い。ビルマはテイン・セイン大統領の開放政策によって関係に危うさが生まれてきた。タイにはアメリカの息があまりにもかかりすぎている。そこでラオスなのである。もちろんそれを阻止したいのがアメリカの本音だが、インドシナ戦争時にアメリカはラオスに、ヴェトナム北爆や第二次世界大戦時のヨーロッパ戦線での量を上回る爆弾を投下して、左派である現政権の政権掌握を防ごうとしてきた汚点がある。タイを担ぎ出して後方支援に回りながら中国との対峙を続けているのが現状だといえよう。

 もちろん国家政策と企業や大衆レヴェルでの進出とは必ずしも一致するものではない。だが、静かで密やかなこのラオスの滋味豊かな土地と人々にカネをちらつかせて買い占めてしまうという思惑に関してはどちらも似たり寄ったりだ。ヴィエンチャンはそのタイ側の要塞になりつつある。お洒落なナイト・スポットの看板ひとつとっても、オープン・エアー・スペースを安易にビア・ガーデンにしてしまうことひとつとっても、まったくタイの地方都市と変わりがなくなりつつあるラオスの首都。夜が遅くなり、通りを歩くとオカマに「スペシャル・マッサージ」をしつこく持ちかけられるところまでバンコクに瓜二つだ(ちなみに僕は二人組みのオカマに挟み撃ちにされ、うち一人に首筋にキスされた。勘弁してほしかったが、どうやらこれでオカマからダッシュで逃げられたのでほっとしていると、道行く人々の視線がどうにも注がれすぎている。それもそのはずだ。あとで入った商店で、「それ何?」と首筋に指を指され、確かめてもらったら口紅だった)。こんなはずじゃなかった。

 メコン河畔で、作りつけの悪い屋台の椅子に腰を預け、夕日に照らされながら飲むビア・ラオが最高にうまいと感じた人はいま、きれいに舗装された遊歩道の端に腰掛けて、安っぽい4つ打ちビートがガンガン鳴り響くショッピング・ブースで買ってきたビア・ラオを同じ味で飲んでいるだろうか? 値段をどうしても下げてくれないトゥクトゥク運転手のおじさんの、自然な笑顔と商売っ気のなさについ「その値段でいいよ」と言ってしまった旅行者はいま、いったん納得しあったにもかかわらずおかしなところで降ろされ、別のトゥクトゥクに引き継ぐからここまでの料金を払えと理不尽な請求を受けて、彼の生活のやりくりを想像しながら自分がそこにわずかながら貢献できたかもしれないと感じられるだろうか。家族や民族を誇りに思ってきた人々はいま、そんなにも都会の孤独と疎外感を味わいたいのだろうか。

 ラオス人は他人に媚を売らない人々である。外国人に興味を持ったとしても、持ち前の奥ゆかしさと照れで、それを前面に出さないようにする。でも機会があればどこまでも人懐こく、親切で、温かみを惜しみなく振りまく人々である。その姿は、そっけないように見えながら豊穣な森林に包まれた国土に酷似している。どうかその魂を売らないでほしい。そんな言葉を、生活に困っていない先進国の一旅行者が安易に吐かないでくれと言われるかもしれない。でも、いや、だからこそ僕は言うのだ。かつてアメリカに魂を売り渡し、先祖代々続いてきた価値観と断絶し、アジアの一国ともいえないくらいに変容した結果、2000年代以降は新しい時代に対応することもできず、若者すら夢を描けなくなった日本人だからこそ、同じ轍を踏まないように、と。




footprints

2017〜8年
2013年
とうとうナンプー(噴水)広場はここまで近代化
1999年には、ただ薄汚れた姿を晒していたのだが…
夜のナンプー

バンドが出ているのも、タイっぽい
ナンプーに面した店のひとつ

なんだかこちらも実にタイっぽい
メコン川縁の店

露店が並び、観光客が押し寄せる
メコン川縁の散歩道

2009年に工事が始まっている気配はしていたが…
以前の写真(2008〜9年)の河畔は、今はもうない
チャオ・アヌ通りの寿司屋台

これもまるでタイらしい風景
夜のチャオ・アヌ通り

こんなにラオスの夜が明るいなんて…
夜のトゥクトゥク

夜8時には人通りも少なくなったあのヴィエンチャンが…
それとともに、明らかに悪質な運転手も増えたので、ご用心
客引きがしつこくなって、それならタイ並みに値段を下げろよと、愚痴のひとつも言いたくなる
ワッタイ空港のレストラン

こちらにも日本食が
ラープ・カイ

さすがに都会の洗練されたお味
カォ・プン

メニューにはなかったけど、麺料理をリクエストしたら作ってくれた
煎り米の香ばしさとあっさり炒めた米麺がうまい
生野菜

ラオスは生野菜の天国
2008・2009年
ワット・シェンクアンの落ち着き顔の寝釈迦
ワット・シェンクアンはブッダ・パークと言われるだけあって、いろんな仏像が集結
ワット・シェンクアンを全貌できる展望所
足を滑らせそうで怖い
メコン河畔で写真をせがまれた
牛たちはこの国に似あい過ぎている
潰れた映画館跡に朝食屋台
いつの間にか小洒落た店が増えた
トロピカル・フルーツ北限の冬果物
タラート・サオに新館オープン
中心部にあるナンプー(噴水)広場
以前は「コンステレーション・ホテル」と呼ばれ、記者たちに愛された、エイシアン・パヴィリオン・ホテル
バス・ターミナル近くの夜はまだ深い
タラート・サオの新館は夜を明るくした
レストラン「クア・ラーオ」のラオス料理セットはかなり美味
クア・ラーオでのラオス・トラディショナル演奏
中国への近さを感じさせる
タラート・サオ横のバス・ターミナルは活気がある
南バスターミナルの存在を初めて知った
こじんまりしたワッタイ空港
市内バスも整備され始めている
近距離バスの車内
バイク牽引式のトゥクトゥクが多い
けっこうビートルを見かける
乾季のメコンは近頃干上がり過ぎ
日ラオス協力のしるし
アヌサワリー(凱旋門)までの道もこのとおり
タート・ダムは綺麗になった
下の7年前の写真と見比べてみてほしい
1999年
タート・ダム(黒仏塔)の飾らない
町への溶け込みようが好きだ
スックヴィマーン(レストラン)

家庭料理であるため、ラオス料理店はそう多くないが、ぜひトライすべき
僕はタイ料理よりずっと好きだ
メー・ナーム・コーン(メコン)川縁にて

水辺が子供の遊び場なのは、世界共通
でも今となっては、禁止事項が増えたことと、ダムで川の水量が激減したことで、見られない風景になってしまった
タラート・トンカンカム近くにて

この頃はまだ、未舗装の道に土埃舞う街だった
少し街外れに行けば

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