BATU FERRINGI

財布に30リンギットしかない一日

 ハジャイから国境越え乗合タクシーでバタワースに降ろされた僕は、対岸ペナン島までのフェリー代すらリンギットの持ち合わせがないことにそのとき初めて気がついた。車内で乗り合わせたガンビアからきたという男が気前よくフェリー代を貸してくれたが、マレーシアではその日曜、ATMがどこもかしこもアウト・オブ・サーヴィスを表示していた。財布の中にはタイから持ってきた300バーツに満たない紙幣。それなのに、僕は適当な気持ちでバトゥー・フェリンギまで来てしまった。ジョージタウンで旅社に身を寄せるよりは、海辺のゲストハウスのほうが安くて快適ではないかと思ったからだ。

 バスを降りると小遣い稼ぎの少年たちがゲストハウスを紹介する、としつこくあとをついてくる。僕は「本当にお金がない。とにかく安いところがいいんだ」と彼らを追い払おうとしたが、結局は彼らがその海沿いの砂利道の一番奥にあったゲストハウスのおやじと交渉して確保してくれた部屋に陣取ることとなった。1泊10リンギット。マレーシアではこの価格は本当に安い。しかし、その部屋は鶏小屋をベニヤ板で仕切ってできた窓ガラスもないところだった。
 その日気がついたのは、ある程度の高級店ならVISAカードが使えることだった。メイン・ロードに面した、舞台でショーまであるレストランで夕食。リゾート風景にうまく溶け込めず、西洋人の家族に囲まれて一人でスチーム・ボートを食べている僕は、さっきまで横で鳴いていた鶏の声を思い出していた。
 翌朝近くの銀行でさっそくキャッシュを引き出そうとしたら、「ミニマムは600リンギット」と言われ、仕方なく用紙にサインしたが、その財布はコムタに戻るバスの中で跡形もなく消え失せていた。「やられた!」

 バトゥー・フェリンギはたいしたスポットではない。名だたるリゾート・ホテルの施設や快適具合がどうなのかは知らないが、海も砂浜もきれいだとは言えないし、ムードがあるわけでもない。ただ、若い頃の僕のそうした個人的な思い出が今では甘いものに替わっていることを気づかせてくれるとき、旅というのは結局、風光明媚を愛でることではなくただモノを「感じる心」そのものなのだと気がつくだけだ。

●コムタからバス。


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