MANILA


写真について

 風景写真を撮っていると、胸や顔の前に人差し指を一本立てて笑いかけてくる少年少女たちの姿。それが喧騒都市=マニラの図式的な印象を初めて越えた瞬間だった。彼等・彼女等は「僕(私)の写真も一枚撮って」とせがんでいるのだ。フォーカスを決めている間にも身じろぎしない姿は、この国の人たちの、何があってもその時間を笑って暮らそうとする姿勢とオーヴァーラップする。そして、カシャリとシャッターが下ろされたあとに、彼等・彼女等はその写真の焼き増しをねだらない。僕のフィルム上に、彼等・彼女等の姿が焼き付けられていれば、それで充分だというのだろうか。人が好きで人を撮りたいと願う僕は、それ故に自分の瞳ではない、冷たく大きなレンズを人に向けることがうまくできない。でも、アクターでもアクトレスでもないマニラの人々が、カメラに対してこんなにもナチュラルで在れるとき、僕は、自分の中のおかしなこわばりに気づくことができる。同じように英語を操るシンガポールやマレーシアのように闇雲な洗練に向かわず、香港のようにプライドの死守に駆り立てられないでいようとするマニラの風情の向こう側に、今僕の部屋にある少年少女の写真に生きている笑顔があるのなら、僕はこれからもこの街に何度だって降り立ちたいと思う。




トンド
 世界最大のスラムといわれるトンド。その象徴として語られてきたスモーキー・マウンテンは今はもうない。だが、そこが街である限り、人が住み、街は動きをやめない。
 上の「写真について」テキスト右の写真は、子供達が集まってゲームなどをしているシーンではない。うまく写っていなくて残念だが、彼らは新聞を燃やして火遊びをしているのだ。この火が広がって大規模な火災が起こるのが社会問題になっていると聞いた。確かに、キアポの西側にあるスラムを歩くと、これまでに味わったことのないような危険の匂いがした。人の視線が痛い。
 しかし、カメラを持っている僕の姿に気づくと、いい年をしたおっさんたちが「一枚、一枚」と写真をせがむ。それは、不況にあえぐ大阪で、その日の職にあぶれた日雇い労働者がたむろするあいりん職業安定所と同じだったのだ。

●LRTドロテオ・ホセ駅から西へ。ジープニーかタクシーでアクセス。


スモーキー・マウンテン
 トンドに向かうジープニーは、意外に穏やかな感じだった。それに、ジープニー名物の、乗車料金とおつりの乗客連携パスは、ここでもちゃんと行われている。少なくとも、キアポの西側スラムよりは、ずっと人のまなざしは穏やかだ。それは、これまでこの地を訪れたことのあるフォーリナーの数の違いか。
 スモーキー・マウンテンは半分が削られて、日本でいう公団住宅になっていた。しかし、なぜか立ち入りできないようになっている。残った半分の山は上から土がかぶせられ、今ではそこに草が茂っている。もう名のような煙は立っていない。

●LRTドロテオ・ホセ駅から西へ。ジープニーかタクシーでアクセス。


パヤタス
 マニラのゴミ収集所は、スモーキー・マウンテンなき後、郊外へ分散した。パヤタスはそうした場所で、タクシーの運転手からこの地の事を聞いた。彼も、同行したフィリピン人の友人も、みんなが「何を好んでそんなスクウォッター・エリアばかり行くのか?」と訝る。何故か? 僕にもわからない。
 泥の水たまりをかわして道を歩き、ゴミの山に登れば、遥か向こうまで山は続き、いたるところで自然発火したゴミが煙を上げている。ビニールやプラスティックまでも一緒になって燃えるその煙のもうもうと立ち込める中で、少年達がゴミの再生利用販売のためにいい物はないかと物色している。彼らは顔についた泥をぬぐおうともせず、黄色くなった目をしばたたかせる。僕は、やっぱりどうしようもなく立場がない。決して軽い気持ちだけでここを訪れたわけではないと思い込んできたが、やっぱり物見遊山だったのか?
 今でも、彼らの目を忘れることができない。

●MRTクバオ駅からバスでファーヴュー下車、そこからタクシーやバイクタクシーにてアクセス。


マカティ
 今のマニラの中心街は、もうエルミタやマラテではなく、マカティということになるのだろう。高層ビルが林立し、防犯用に壁で囲まれた街「ヴィレッジ」の飛び切り高級な地域があったり、巨大ショッピング・コンプレックスのグロリエッタやシューマートなどの商業施設も控えている。夜の繁華街もこちらに移って来ているようだ。ブルゴス・ストリートにはネオンがきらびやか。
 トンドやパヤタスからここに足を踏み入れると、あまりの落差に一日の連続性が断ち切れてしまう。そして、子供みたいだなと自分を嗤いながらも、ヴィレッジに唾を吐きかけたくなってしまう。
 なのに、僕はやっぱり、ここでは緊張せずにいられてしまう。自分から「都市」が切り離せない。

●LRTブエンディア駅下車。


ブラカン
 車内で喫煙してもいい、窓のないバスに揺られること3時間。キアポの西端あたりから出たバスは郊外のフリーウェイを降りると曲がりくねって起伏のある道に入る。山がちな地形の多い日本のこと、こういう風景を見ると正直ほっとする。最初は、「いつものバスに乗っている変な日本人」をちらちらと気にしていた目も、何時の間にかうだる暑さと、一所懸命がんばっているのにどこか緩慢さの付きまとうバスの空気に溶けてしまっていた。そういう頃合いにたどり着くのがブラカンである。
 ここの町の中心がどこにあるのかを、僕は知らない。滞在期間が短かったせいもあるが、精力的に歩き回って、町の片鱗を拾い集める必要がないように感じたからだ。どこか適当な場所で腰を下ろしているだけで、この町のエッセンスは自然と息として吸い込むことができるような気がしたからだ。そしていつしか僕は、失われた夏休みの風景−小学校が長期休暇になるたびに待ちくたびれて「帰って」いた母方のおばあちゃんの郷里−をこの地に重ねて見ていた。近所の人との行き来の多さとか、木と石でできた家のにおいと湿っぽさとか、子供にはこわかった便所の暗さとか、蝿取り紙の似合う食卓とか、気だるいような物寂しいような時の流れとか。フィリピンという空間旅行をしながら、同時に僕は幼少期へ時間旅行している幻想にも駆られ、子供に戻ってゆこうとする自分を押しとどめるのに手を焼いた。

●LRTカリエド駅からラビット・バスにてアクセス。


ファーヴュー
 クバオからジープニーに乗って、居眠り居眠り、小1時間くらいたったのだろうか。道沿いにどこまでも続いているのではないかというような市の居並ぶこの町にやって来た。ここはパヤタスの玄関口。庶民的な露店や小さな戸口の小売店の脇をゴミ収集のダンプが排ガスを撒き散らし、埃を舞わせながらがんがん通り過ぎてゆく。それでも、夕暮れ時のこの町には、やっぱり笑顔がそこかしこにこぼれていた。

●MRTクバオ駅からバスにてアクセス。


より大きな地図で マニラ を表示


footprints

トンド

レンズを向けると、男たちの笑顔が返ってくる
トンド

線路やその脇に貧しくも賑やかな暮らしがある
トンド

選挙カーが下町をゆく
トンド

ジープニーが活躍する街
スモーキーマウンテンのそば

楽隊を載せて車はどこへゆくのだろう
キアポ

壊したビル跡は子供たちの絶好の遊び場


◆トップ・ページへ
◆「あの人・この街」目次へ









SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送