MUKDAHARN

郷愁に似た何か

 対岸はラオスの町サヴァナケットからメコンを渡った僕は、この町に足を踏みしめて、ああ、帰ってきたんだと実感した。ムクダハーンとチェンセーンには、ラオス帰りに到着するタイの町としては抜群の、郷愁に似た何かが漂っている。旅人にとってこの街のメリットは、ラオス第2の街サヴァナケットを経由してヴェトナムへと抜ける最も便利な経由地であるということに落ち着くだろう。だが、ノーンカイやウボン・ラチャターニーのように鉄道で結ばれているラオスへのゲート・ウェイトよりもさらに、ナコン・パノムやこのムクダハーンには落ち着きがある。街の南側にある展望台「ホー・ケーォ」以外にこれといった見どころもない。だからだろうか、この街の人は優しく声をかけてくれる。「どこから来たの?」「ラオスに行くの?」「日本はどんな国?」−だから、僕は表を散歩したくなるんだ。
 日が傾くのを待っていたかのように人々が通りに出てくると、カイ・ヤーンを焼く屋台の煙が立ち込めだす。かじりついたあとで、果物を買ってたまたま知り合いになった眼鏡屋の店員さんたちの持っていってあげよう。はたして、彼ら・彼女らも僕が暇つぶしに来るのを待っていたようだ。散歩がてら、一杯引っ掛けて行こうか。




ホー・ケーォ

 街のあらゆるところから目につく展望塔「ホー・ケーォ」は、南に外れたメー・ナーム・コーン(メコン川)の傍らに建っている。ラオスまで見渡せる眺望のよさには魅力があるが、風景は単調なので、ものの10分もいれば飽きてしまった。
 塔の下層階に博物館があるのを知って入ってみたが、僕が少しタイ語を話せることを知ったガイドの見目麗しいお姉さんは、完全なるタイ人向けの速度・レヴェルの解説を繰り広げてくれて、僕は展示よりも、美しいタイ語に聞き惚れて館をあとにすることとなった。 


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ノーイとオッ

 ラオスへの渡し船が出る側の川べりに、土産物を売る露店が並んでいる。冷やかしてばかりいた罪か、ポツポツと雨粒。あわててホテルに取って返そうとしたが、本降りになるのは早かった。タイの雨は降りだすとスコールになる。民家の居並ぶ細道を駆ける僕の姿を目にして、若い男が手招きしていた。庭に拵えられた藁葺き屋根の下で、男はお昼ご飯の最中らしい。男は黙って、笑顔で天を指さす。「ほら、雨だろう? 雨宿りしてゆきな」
 ノーイは24歳のトゥクトゥク運転手。この家は、やがて自分たちの皿を持って小学生の息子とテーブルに着いた29歳のオッの住まいだった。ノーイは毎日のように、こうしてオッの家を訪ねてビールを飲んでいるのだった。料理を奨められる。皿には山盛りのラープ・ルアット(生肉に血をかけた挽き肉料理)。怖いものなしだった僕は、おかまいなしに箸をつけたが、辛すぎて気が遠くなりそうだった。それを見た二人は、「イサーン料理はタイの中で一番辛いんだよ」と笑った。雨が上がったあと、オッは洗濯物を干しはじめた。この家には母や妻など、女性のにおいがしない。オッの息子はいつもどこかしらさびしげな表情をしているように見えたのは、思い過ごしだろうか?

 「トゥクトゥクで出かけよう!」
 ノーイが僕をドライヴに誘う。雨上がりの街の風は爽やかで、ノーイは
 「僕らはもう兄弟だよ。お兄さんと呼んでいいかい?」と、車を止めて振り向いた。
 さりとて見るべきものもない街をひと巡りすると、「ホテルはどこ? 送っていくよ」と言う。その日、僕は奮発して1泊900バーツの、この街では飛び抜けて高級なプロイ・パレス・ホテルに泊まっていた。
 「バントム・カセム・ホテルの前で降ろしてよ」−本当のことが言えず、1泊250バーツの旅社の横につけてもらった。
 ノーイはお金を受け取らなかった。
 「兄弟だろ?」
 トゥクトゥクの残していった幾ばくかの排気ガスのにおいを嗅ぎながら、僕は100バーツ札を手にしたまま、道端で佇んでいた。

        → 「ソンクラー:押し花」に、彼らのお話の続きがあります

 

   

スー

 街きっての高級ホテル「プロイ・パレス」では、フロントの女の子が僕の姿を認めて、困った面持ちでいた。明らかにタイ人ではない僕の姿に、英語が得意でないことを焦ったという。さいわいこの頃には、僕はホテルで必要なタイ語くらいは理解できるようになっていた。「ミー・ホン・ワーン・マイ・クラップ?(空いている部屋はありますか?)」と訊くと、彼女はとたんに顔をほころばせる。言葉が通じることの喜びを感じる瞬間だ。
 部屋に荷を降ろしてシャワーを浴び、出かけようとするとフロントの彼女から声がかかる。
 「どこへ行くの?」
 「散歩に」
 ホー・ケーォののこともお薦めのお寺のことも、すべて彼女が教えてくれた。ホテルにジムやプール、サウナがあることも、屋上からの眺めがいいことも、彼女自身が案内してくれた。

 「明日ムクダハーンを出るんだ」と言うと、スーは仕事上がりにこっそり僕と落ち合い、バイクに乗って食事に連れて行ってくれた。レストランに入っても、甘味処を訪れても、この街の人はスーのことを知っている。すれ違う歩行者やバイクから、次々と声がかかる。外国人の異性と歩くには、この街はいくらか小さすぎる。それでも、姐御風の気風のよさで、彼女は僕をエスコートしてくれた。21歳のスーは、バンコクのような大都会は好きじゃないという。けれども、この街の規模は、彼女の好奇心に少しばかり追いついていないように見える。

 ホテル代わりにバンコクで借りていたアパートに、それから10日ほどたってスーからの封筒が届いた。「今度はいつムクダハーンに来るの?」 答えがないまま、二人で撮った写真を送った。そしてやっぱり、あれから再びムクダハーンを訪れる機会がないまま、僕は僕の日々を生きている。


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