NAKON PANOM

寝ぼけまなこ

 このときの旅では、ラオスに渡らずイサーンをぐるりと回ることを決めていた。だが、対岸のタケクに行き来するボートを眺めていると、無性にあちら側に渡りたくなる。2007年、突如日本人のラオス旅行ヴィザが廃止されたが、当時はまだまだ1300バーツを払って申請しなければならず、先を急ぎたかった僕はこの場所で3日ほどの足止めを食うのは避けたかったので、けっきょくはそのままになってしまったが。

 夜半のメコン川べりのレストランは、酒を飲む客も多かったが、おおむね静かだった。川で獲れる大ナマズ、プラー・ブクを食べられるかな、とも思ったが、こちらも成し遂げられず、こちらも2007年に禁漁となった。この街は鉄道との連絡もなく、遠いところまで来たような気がする。どの時間帯にも人通りは少なく、名物の時計塔も小さなもので、人の行き来はゆっくりしている。どこか寝ぼけた街のイメージだった。

 いまも、ナコーン・パノムはあの寝ぼけまなこでいるのだろうか? それとも、近代化の高波はあの街の目を覚ましてしまっているのだろうか?




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越僑のおじさんの三角帽子

 この街にはヴェトナム人が多いと聞いていた。タイとヴェトナムは国境を接してはいないが、かつてヴェトナム、ラオス、カンボジアはインドシナ三国のフランス植民地→共産勢力の台頭と、共通した歴史を歩んできた。そこから逃れようとする人々はラオスを越えてタイにまで出てくるか、ボート・ピープルとなるほかなかったのだろう。
 人々の姿を眺めても、家屋の並び具合を見ても、ヴェトナム風情を感じさせるものには行き当たらない。ヴェトナム料理店もなければ、もちろんヴェトナム語も耳にしない。そうして、滞在中にそのことを忘れかけていた。
 メコン川沿いの土産物屋台を物見遊山で歩いていると、ふと三角笠が目に入った。あ、あれは、ヴェトナムのものじゃないか! 思わず構えたカメラを、そのおじさんは避けるようにくるりと背を向けた。
 僕はジャーナリストでもなければ、カメラマンでもない。さらに、タイ人やヴェトナム人でもない。ただの旅行者の気まぐれで、風景写真と同じように人も撮ってきた。しかし、菅笠のおじさんはここでこれからも暮らしてゆかねばならない。もしかすると、僕の一枚の写真が彼女に何らかの不利益を生み出すかもしれないのだ。
 その日から、僕は「いい写真」を撮ろうとするのはやめた。「いい写真」はしばしば、他人のプライヴェートにずかずかと踏み込み、一瞬一瞬を剽窃しようとする。人物ににじり寄って表情を引き出したりすることも、単なるウソにすぎない。その人と僕がカメラを通じても自然な環境でいられるように、できるだけ、そんな関係でありたい。僕はカメラ小僧ではなく、人とのつながりを想い出の宝箱にしまおうとする個人旅行者なのだから。





footprints

メコン川べりの露天商

お土産から日用小物まで。
パパイヤ売り

荷台にドカッと乗ったパパイヤ。
ホー・ナリカー(時計台)

川べりに立つこじんまりとした時計台。

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