NONGKAI



メー・ナーム・コーンが運ぶもの

 ものの本を開けると、タイ東北部であるイサーンについては貧しさや未開発をイメージさせる表記が目立つ。それはもっともなことだし、実際タイ人同士のイメージでも似たような部分はある。ただ、十把一絡げにイサーンといってもその領域は広大で、コラート(ナコーン・ラーチャシーマー)からコーンケーン、ウドーン・ターニー、ノーンカーイと鉄道あるいは国道2号を北上してきた人々は「ちょっと抱いていたイメージと違うじゃないか」と思うかもしれない。このイサーン北上の旅は、各町の性格がそれぞれ特徴的で面白い。

 それぞれどういった街であるのかは各項に分担するとして、ノーンカーイは北にラオスを控え、その首都ヴィエンチャンとのひっきりなしの交易があることから、タイの中でも穏やかでおっとりした空気が流れているように思う。ただ、ラオスに入国してしまうと「穏やか」だとか「おっとり」だとか言うレヴェルをタイの尺度で計ろうとすると、測定可能値を振り切ってしまう可能性がある。ラオス人の場合、初めて接すると「寝ているのと起きているのとにあまり落差のない人々だな」というくらいののんびりさににまでなってしまう。

 観光ずれしてもいず、旅行者が不審者に思えてしまうくらいの土地でもない場所が、僕は好きだ。そこにいつもより少しだけ澱み気味な時間やまったりとした空間があれば、つい長居してしまいそうだ。この街をラオスへのアクセス・ゲートウェイだと通り過ぎてしまうのは惜しい。大河メー・ナーム・コーン(メコン川)の沿岸は、どうしてこんなにも落ち着いた街を演出させるのか。そのことを河畔で思いを馳せてみるのも一考だ。



ワット・ケーク(サラギョク)

 バンコクのホアランポーン駅で夕飯を食べて列車の出発を待っていた。

 「日本の方ですか?」―クィティアゥ(米麺のタイ式ラーメン)を啜っていた顔を上げてみると、大学生らしい女性がいた。ちょうど僕が向かおうとしていたノーンカーイから、彼女はついさっきの列車で戻ってきたばかりだという。僕もそうであったように、彼女も乗り継ぎのため時間つぶしの話相手が欲しかったようだ。

 「こんなことって、敬虔な仏教国のタイであっていいんでしょうか?」と、彼女は語り始めた。メー・ナーム・コーンを見ようと川縁に出る道を歩いていると、ある寺院の前で若い修行僧に声をかけられた。彼は「日本語を勉強しているんです」と、かつて知り合った日本人にもらったという「タイ語・自遊自在」を小脇に、ワット・ケークまで案内してくれた。そして、別れ際には「ありがとう」と彼女は握手を求められたという。僧侶の女性不可触が社会認知を受けているタイでは、バスや列車で僧侶が座っている横には女性は座らないし、女性から喜捨を受けるときはいったん柄杓のような棒の先に置いてもらったりさえもする。自身からの誘いで女性とともに一対一で出かけるとか、ましてや握手したとかいうのはたしかに腑に落ちない話だ。

 その約24時間後、ビア・シンの酔い覚ましに、ノーンカーイの屋台の並びから川べりに向かった夕方、実に偶然にも、僕は「タイ語・自遊自在」を手にした件の若い僧の手招きを受けた。実際のところ、彼は至極真面目な僧侶だった。英語が少ししかできなかった彼と、当時あまりタイ語が話せなかった僕との間にはそんなに会話は多くなかったが、彼がともすればあまりの生真面目さに、同年代の僧仲間でも少し浮いた存在になっていることがなんとなくわかった。

 そして、彼はそこが何かの導きであるかのように僕をワット・ケークに案内した。右の写真はワット・ケークの入り口だが、立像とその前に止められたコーラ配送車の大きさを比較してみてほしい。無言のまま水先案内に勤しむ彼のあとをついてゆくだけで、酔いが回ってくるような錯覚がした。不可思議としかいいようのない微笑を湛えた巨大な仏像の数々。ゼウスやナーガ(ヒンドゥー教の蛇神)、中国風の大きなお腹の仏像にタイではお馴染みの仏様の像が次々と現れる。池に餌を投げ入れるとナマズが無数に大きな口をあけて何百匹と集まってくる。

 僧は別れ際、僕にも握手を求めた。あとでタイ人の友人にその話をすると、「その僧にもうひとつおかしいところがある。その期間はカォ・パンサー(入安居)中で、お寺から外に出てはいけないはずなんだ」。

 しかし、そういう様々を曖昧に許していこうとするタイやノーンカーイの街が、僕はよりいっそう好きになっていた。


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footprints

ワット・ケーク(サラギョク)

こちらはインド風モチーフ。
ワット・ケーク(サラギョク)

日本では想像しにくい不思議なムード。
ワット・ケーク(サラギョク)

結婚した夫婦像
ワット・ケーク(サラギョク)

なぜかその夫婦が業火に焼かれたあと。
メコン川へと続く道。
様々な漢方薬。
網の様子を見る男。
ラオス国境越えバスを待つ人々の手にはカオニャオ(もち米)。

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