CHANG MAI

大きな田舎町

 北の薔薇として、チェンマイは多くの旅行者を魅了してきた。確かに、此処には古都らしく見どころのある寺社が多く、また、山岳民族を訪れるトレッキングの拠点としての魅力にもあふれている。ナイト・バザールの賑わいもボー・サーンの傘の美しさも、メー・サー滝の和やかさも見逃すのは惜しい。

 しかし、僕がこの街で感じ入ったのは、宙ぶらりんさだった。観光都市として動いてはいるが人々の息遣いが聞こえる、人いきれはあるのに間延びした、その佇まいだった。闊歩する日本人もファラン(西洋人)も多いが、彼等・彼女等もその空気に飲み込まれていっているのがよくわかる。

 都市整備計画に則って、チェンマイにも具体的な鉄道計画が持ち上がってきた。確かに、幹線道路でも入り組んだ路地を一方通行で抜けなくてはならない個所が多いこのような街にはその必然性は高い。が、わがままを言えば、この街にはそのままの姿でいてほしい。


ケーォとアユラポーン

 当時、街をぶらぶら歩くだけでタイ人の知り合いができた。

 旅行者の気まま勝手な戯言を言わせてもらえれば、旅行で訪れる街には旬がある。外国人があまり訪れない街や村では、土地の人たちは構えてしまってなかなか心を開いてはくれない。そして、一度開いてもらうことができると、今度はとことん深入りされる。かといって外国人慣れしきった街では、僕たちなど珍しくもなんともないので、電柱か公衆電話くらいの存在感しかない。こうなると商売人ばかりが僕たちに鼻息を荒くすることになりかねない。その点、2000年頃のチェンマイは絶妙の時期を迎えていた。外国人旅行客はけっこういるし、それなりの興味もあるけど、英語を話すのが苦手なな人々には遠い存在でしかない。まだいくつかの単語を知っているだけだが、それでも辞書を片手に何とかタイ語を話そうとする僕のような存在は、本当に知り合いを作りやすかった。そんな一人がケーォだった。

 ホテルの電話番号を教えると、ケーォはそこに電話をかけてくるようになった。しかし、会話は長く続かない。実際に会っている間にも、僕が辞書を調べているときの間がなかなか持たないような状態である。ましてや、音声しか存在しない電話での会話は、サンダルで高山を登ろうとするようなものだ。それでも彼女はよく電話をかけてきてくれた。そして、当時のハンディ・タイプのタイ語辞書には欠陥がいっぱいあったので、その会話でわからない言葉をカタカナでメモしたノートには、行き場のないメッセージが小山のように積みあがっていた。そんなときに、街中の大きなホテルの警備員をしていたアユラポーンと知り合った。少し英語を理解する彼は、僕とケーォとの「進展」ぶりに興味を持っており、ノートの単語のいくつかを解き明かすクイズ解答者の役割を進んで引き受けてくれたし、実際この時には使うことはなかったけれど、恋人にささやく甘いフレーズをいっぱい教えてくれた。

 ある日、ケーォの休みにあわせて、彼女の友達とメー・サー滝に遊びに行くことになった。僕は一応水着を持っていったのだが、彼女たちはそんなことはお構いなし。普段着のままどんどん川に入っていき、ずぶ濡れになっても気にもしない。やがて水のぶかっけ合いになり、童心にかえってはしゃぎあった。財布までぐしょぐしょだろうが、もうそんなことはどうでもいい。ケーォも友達も、心から楽しそうに声を上げて笑っていた。帰りは待たせてあったソン・テゥに、濡れたままで乗り込んだ。運転手もまったく意に介していない。その車中、きゃっきゃと笑いながら話している二人を、僕は眺めているだけでよかったのだが、不意に言われた。「しゃべってくれなきゃ、楽しいのかどうかもわからないよ」。そこで目が覚めたような気持ちになった。本当に基本的な単語しか知らない僕は、その幼児状態のタイ語を並べて多くの知り合いを作ることはできても、せいぜい30分しかお互いに夢を与えられない「半時間男」なのだ。滝でのひと時、3人ではしゃいだあとだけに、ソン・テゥでの言いたい言葉も伝わらないもどかしい寡黙な時間との落差は滝くらいに大きかった。

 街に戻って、一人アユラポーンに会いに言った僕は、彼の「どうだった? 楽しかった?」という言葉に、「うん、楽しかったよ」とだけ伝えた。それは嘘じゃない。そして、その先はきっと口にするべきじゃない。いまのところ僕はどこまでいっても、トリック・スターの半時間男なのだから。少しさびしい。でも、まあいいんだ。旅の先は長く、僕はどうせそろそろ次の場所へと旅を続けていく。それに、これからもっともっとタイ語を習得することだってできるだろう。

 そしてタイに暮らすようになった僕は、やがて知るようになる。タイ語学習には「もて期」がある。片言のタイ語しか話せない時期には、頑張って話そうとしてくれているという「かわいらしさ」がうけて、男女問わずにけっこうもてるのだ。だが、電話での会話を恐れない程度話せるようになると、この時期は終わる。「どうして言ってることがわからないんだ?」「タイ語を話せるんじゃないのか?」というお叱りを受けることも増える。それが現実であり、あるいは日常生活というものだろう。そう、チェンマイの短い旬のように、僕のタイ語もて期という旬もまた、つむじ風のようにひと吹きで過ぎ去っていったのだった。



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footprints

2012年訪問

↑ ワット・パパオ
古色蒼然とした佇まいが素敵


↑ ドイ・ステープ
お経を唱えながら仏塔の周りをを3回まわる


↑ ドイ・ステープ境内にある木彫りの図



↑ ドイ・ステープから眺めたチェンマイ市街
白く霞んでいることがほとんど


↑ ドイ・ステープへの階段
小僧さんたちがリクエストに応えて


↑ ドイ・ステープへの道
アクセスはソン・テゥがポピュラーだが、自転車というファランも!


↑ サンサイの小さな市場



↑ メー・マライの市場



↑ 木でできた橋
6輪車以上通行不可だそうです


↑ 郊外の住まいの様子


2011年訪問

↑ ワット・パパオ
市街中心地にある、タイヤイ族コミュニティーの中心


↑ タイヤイの得度式、ポイ・サン・ロン
昼に到着すると賑わっていた


↑ 夜もまだポイ・サン・ロン



↑ 翌朝もまだポイ・サン・ロン
この調子で3日続くという

↑ ポイ・サン・ロンに合わせたワット・パパオ境内でのコンサート
チェンマイのタイヤイ人大集合!


↑ タイヤイの祭に欠かせない楽器
左からモォン/セーン/コーン


↑ 2011年初頭の地震カンパを募っている



↑ ワット・パパオ裏手のタイヤイ雑貨屋兼食堂横町



↑ タイヤイ料理の麺料理



↑ このクゥィッティヤゥ、おいしかった



↑ ビルマ料理の店も



↑ ニマーンヘーミン通りはお洒落なスポットに



↑ 北タイ書籍の宝庫、スリウォン・ブック・センター



↑ トゥクトゥクのパトカーが!


2010年訪問

↑ パンダはすっかりチェンマイ名物の人気者



↑ チェンマイ水族館はかなり見ごたえあり



↑ いろんな魚が間近に見られて迫力がある



↑ 数は少ないけれど、爬虫類も



↑ チェンマイ動物園はまずフラミンゴでスタート



↑ チェンマイといえばドイ・ステープ



↑ ドイ・ステープ寺院へと続く参道



↑ チェンマイ1となったセントラル・エアポート店



↑ 猫もウインク!



↑ 犬も荷台に乗車



↑ チェンマイ名物のカォ・ソーイ(左)
北のヤム・ヌアはおいしい(右)


↑ チェンマイ旧市街は城壁と堀に囲まれている



↑ ドイ・ステープからはチェンマイ市街が見渡せる



↑ ムアン・ンガイ外れの、名もない山


1999年訪問

↑ 城壁に戯れる子ども



↑ メーサー滝では服のまま水遊び



↑ 北では微笑みが柔らかい気がする



↑ チェンマイには白がよく似合う



↑ カッド・スアン・ケーォは当時のナンバー1



↑ 市場のおばちゃんのひと時


11年のちに
↑ 仏像には立派な屋根がつき、仏塔も美しくお化粧直し
左:1999年 右:2010年

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