HAT-YAI



人間として健康なこと

 初めて足を踏み入れたときのバンコクに対する印象は、「魔都」そのものだった。人間の欲望が渦巻く姿があまりにも露骨に見えるような気がして、正直なところ、別のところに旅行すればよかったかなとさえ思った。しかし、バンコクとタイは違うのもなのだということが南下の旅を始めると見えてくる。そして、マレー半島を突っ切ってシンガポールからとんぼ返りし、二度目のハジャイの空気を吸ったときに、ここが自分の故郷にすら感じられた。シンガポールやマレーシアの整備された街には整備された人が住み整備された味が横行し、整備された時間が流れているような気さえするほど、ハジャイでは何もかもが人間らしい手触りを持っていた。舗装道路の道端に赤土が溜まっていることも、暑い中で商売人がやる気なさげにテレビを見ていることも、着飾った娼婦がマレー人らしい男とあまりうまくない英語で一生懸命しゃべっているのも、すべて人間として健康的な気がした。隣町の県都ソンクラーとは対照的に、この街は南タイ随一の活況を呈している(リゾート地であるプーケットを除く)。

 飛行機から小さく眼下に消えてゆくハジャイを見送ったとき、機内誌を知らない間に握り締めてくしゃくしゃにしてしまった。胸が痛かった。だが、そうやって再び戻ってきたとき、なぜかあのバンコクまでもが僕にとって人間として健康的な街になっていた。




深南部テロ

 オサマ・ビンラーディンのTシャツがバンコクの街頭でしょっちゅう見られた時期があった。意味の深刻さを考えずにあっけらかんとした商売をしてしまうところに、良きにつけ悪しきにつけタイ人の気質をうかがえるエピソードではある。しかし、事はそう穏便ではなかった。

 タイ南部に支持層を持つ民主党が与党から転落、タイ最大手通信会社の代表者であるタクシン氏が経済改革などを掲げてタイ愛国党を当選させたことが、長らく沈黙していたタイ深南部のイスラム住民たちに火をつける格好となった。それまでの小政党乱立、連合政権での政治には改革断行が遅々として進まない大きな弱点があったものの、それはある意味でまたもや個人主義的なタイ人気質を映し出す鏡であって、それが今のタイ国家にはまだしっくりとくるものではあったはずだ。欧米諸国の取る二大政党の拮抗状況を作り上げるべく始動した政党改革は結局タイ愛国党の一党独裁を作り上げてしまい、強権発動的なシステム確立を許してしまう結果となる。

 テロ騒ぎで拘束された容疑者が小さな公園に押し込められ、あぶれた人々がその状態のまま川に流され次々と溺れ死に、護送トラックに詰め込みすぎたために拘束者80余名が残らず窒息死するというタクバイ事件のような愚策を繰り返した首相の率いるこの国は、表向きは経済向上に沸いているが、その実ミャンマー政府化している。

 ハジャイは深南部にこそ属さないが、県を接するタイ南部最大の街である。平和だった時代を偲び、タイがタイらしい姿をとどめているうちに、僕はこの国のいろんな風景を目に焼き付けておきたいと願う。


大きな地図で見る



footprints


砦跡
砦跡
プー・ニム・トート(ソフトシェル・クラブ揚げ)

香ばしい殻まで柔らかくぺろりと行けてしまう。
レストラン

上記のプー・ニム・トートを出してくれた店。
名前は「タレー・トーン」。
街中の様子

◆「あの人この街」目録へ
◆トップ・ページへ








SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送