SONGKLA

県都、学問の都

 京と大坂、そんな感じだ。行き交う人々と居並ぶ商売っ気くさい店々。猥雑な雰囲気の商都ハジャイに対して、あくまでソンクラーは県都であり、そして大学の多くある学問の都でもある。街は田舎風情だというより、穏やかと呼ぶにふさわしい。中海になったソンクラー湖やタイ湾に面したサミラ・ビーチなど浜も多いのに、観光化されていないところが居心地よい。ハジャイまでバスで30分という距離の置き方が、この街を独自なものにしたのであろう。その間合いが好きだ。

 がらんとしているように感じる街並みに、人の少ない白砂の浜辺。避暑地のような風情も感じる。小さな子どもが沖に歩を進める子供を母親が呼び止め、今度は穴を掘って砂を積み上げる。そして、その砂の城もやがて波がさらってゆく。授業を終えた学生たちが、オレンジ色を増してゆく時間になるとぶらりとやってくる。海はひたすら寄せては返し、鼓動のような波音をたてる。その音は、夜、ベッドの中にいてもまだ残っていて、僕は残像を枕に安らかな眠りにつく。




サミラ・ビーチ

 ある程度人が集まるビーチには、タイの場合たいていデッキチェアーを並べる店がずらっと続き、人々はそこで料理屋飲み物を取ったりするようになっている。海という公共物を領地合戦にしてしまうこうした商売を、僕はどうしても好きになれないのだが、ここサミラ・ビーチにはそれがない。木陰に屋台が申し訳程度に集まっている、それだけ。それで僕はすぐにここが気に入ってしまった。背景に雑多なものがないと、白砂はとてもまぶしい。


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メアウとその仲間たち

 サミラ・ビーチの岩場あたりに金色をした人魚の像がある。日陰に回って座って海を眺めていたときに声をかけてきたのが、タイで初めて仲良くなったタイ人、メアウだった。彼女は近くの学校でアーキテクチュアを学ぶ17歳の女の子。
 「何してるの?」という問いの答えが「ただ海を見ているんだ」だったことが腑に落ちない様子だった。大学生のチアップ、ソー、クァンもやってきて、皆で寺や湖、猿山、公園などを案内して回ってくれた。見るからに人のよいクァンは、僕がメンバーに割り込んできたためバイクの後ろに乗れず、照りつける南国の陽光の下、走ってついて来てくれる。

 ハジャイのホテルに戻ると、メアウから部屋に電話が入った。そしてその翌日、メアウと姉のパイリン、その友人のルーラが尋ねてきた。
 メアウは決して達者なイングリッシュ・スピーカーではなかったが、話すのがやたら早口で、いつもどこかしら性急でつっけんどんな感じがした。「デパートに行く?」「ご飯食べる?」という言葉のあとにはいつも必ず"Yes or no?"という問い詰め口調のフレーズがくっついていて、正直なところ、「僕と一緒にいて楽しいのかな?」と気をもんだ。日本人である自身の優柔不断ぶりを何度も考え直してみた。
 これも間違いではなかったのかもしれないが、"Yes or no?"がタイ語の「チャイ・ルー・プラーォ?」の直訳であること、まくしたてるような早口や血の気の多さは南部タイ人の一般像なのだという、そういったことをその後、僕はタイ生活を通じて知ることとなった。

 メアウは、そうか、もういい年齢になっているな。


押し花

 山の麓の寺には、薄桃色の紫がかった花が境内に咲き乱れている。覚えたての「スゥアイ(きれいだ)」という単語を口にすると、メアウは笑って「スゥアイ・マイ?(きれいなの?)」と、枝から花をいくつも毟り取ってしまった。橙色の袈裟を着た僧侶は、そんなことなど気に留める様子もなく、僕らの傍らをスタスタと回廊に歩いて行った。いつも片手に持っていたタイ語辞書のページの中に、彼女はその花を挟んで閉じた。
 「花の名前は?」
 「ポーイシアン」
 それから僕は、旅のまにまにあわてて辞書を繰るたび、メアウを思い出すこととなった。

 2年後、僕はメコン川沿いの小さな街、ムクダハーンにいた。トゥクトゥク運転手のノーイは、僕のことを「これからピー(兄貴)と呼んでいいかい?」と、街を案内してくれた。その翌日、彼は日課のように、友人のオッのところに遊びに来ていた。
 「ちょっといいかい?」
 僕の手にあったタイ語辞書をパラパラとめくったノーイは、開いたページから突然こぼれ落ちた花びらに慌てた。
 「ポーイシアン」
 ノーイは、忘れかけていた花の名を口にした。
 「どうしてポーイシアンを挟んでいるんだい、兄貴?」
 ひととおりメアウのことを話すと、彼は「キットゥン・メアウ・マイ?」と尋ねた。「キットゥン」は英訳すると"I miss you"というときの"miss"のように使われる場合が多いが、「懐かしい」にも相当する言葉だ。
 「そうだね」と言うと、ノーイは
 「じゃあ兄貴、俺のことも忘れないでおくれよ」と、庭のポーイシアンを摘み取ってページに差し込んだ。

 いつの間にか、長い旅を繰り返すうちに辞書の中のポーイシアンは少しずつなくなり、今ではもう一枚も残っていない。でも、あの押し花の鮮やかな陰影は眩しすぎるくらいに、いっそう輝きを胸の内に増している。「旅」という言葉の中に、今よりもっともっと恋心に似た切なさややる瀬なさを感じていたあのころの思い出は、そのときには何気なかったはずの一こま一こまを記憶の中で甘酸っぱいものにしている。学生時代にはそれを青春というようなこっ恥ずかしい名で捉えることができなかったように。

        → 「ムクダハーン:ノーイとオッ」に、彼らのことを書いています


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