CICAGO


かなり無愛想な人々

 生まれて初めて降り立った海外は、シカゴのオヘア空港だった。まだパスポートにシングルと5年マルチしかなかった時期のことだ(ついでに言えば、関西国際空港も開港していなかったので、僕にとってこれが唯一の大阪空港からの国際便搭乗となった)。ガイドブックで予習した付け焼刃の応答でパスポート・コントロールで係官の質問に答えていたら、別室へと呼ばれた。
 「マディソンなんかに何しに行くんだ?」
 「日本の友人が留学しているんです」
 「そうか」係官は、笑って部屋の扉を開けた。
 空港で待ち合わせた友人にいきさつを話すと、「そうか、観光でマディソンに来る客なんてほとんどいないからな。学生街ではドラッグが出回っているもんだから、おおかたその線で引っ張られたんじゃないか」との返答。いきなり「ああ、ここはあのアメリカなんだ」と実感させられたのを思い出す。

 出身地大阪の姉妹都市ではあるが、シカゴにあまりいい思い出はない。人があまりにも無愛想だったからだ。仏頂面でレジをたたく店員は、僕が出会った限り誰もが一言の口も聞かずつり銭を投げるようによこすし、僕のプアーな英語がいけないのか、商品について訪ねても答える気のない返事しか聞こえてこなかった。
 あるいは、初めての海外で僕はへんに緊張していて、あまりに多くを求めすぎていて、しかも、たまたまいいスポットを逃していただけのことかもしれない。シカゴ・ブルースのひとつでも本場で聞けば、もっと印象は違ったものになったのだろう。ただ、まずいとは知りながら、バスの待ち時間にディーポから散歩してみた光景は、今でも忘れることができない。大都市のバス・ディーポはたいてい旧市街地にあるから、みだりに徒歩で外出するのは危険なのだが、とあるブロックまで来て、背筋が急にひやりとしてやっぱり引き返すことにした。川に橋がかかっていたのだが、その向こうのエリアに入ったらただでは出てこられない空気が見て取れたからだ。べつに川のこっちと向こうとで貧富の差が感じられるとか、そういうものではない。もう、犯罪のにおいとでも形容するしかない、日本しか知らない僕にとってはあまりに遠い空気感だったのだ。その横には摩天楼がそびえ、僕はそのあまりの落差にくらくらした。
 あれから何年経っただろうか。初印象のせいでもう一度この街を訪れたいという気持ちはなかなか湧いてこないが、今の目でもう一度、あのシカゴを感じてみたいと思っている。


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