記事は1996年の記録です

ガネーシュはこの記事ののちに、心斎橋店をクローズしています。
店長の赤川さんは趣の違う紀の川店を和歌山の公園内にオープンされていたのですが、今は、同じ紀の川市内の民家を改装した息子さんのお店におられるとのことです。
これらすべては、取材ではなく、ネットで知ったことです。
現在バンコクに居住している自分を歯痒く思っています。



ぶらっと (1)ガネーシュの巻



 はじめまして。


 ここは特集のコーナーなんですが、「ぶらっと」なんていういいかげんな題名のルポで、いろんなお店のオーナーさんや店長さん、従業員さんたちとお店の紹介をして頂きながら世間話をして来て、思ったことを気ままに書くという、まあ、そんな感じの企画です。有名店でもあまり知られていないところでも、面白いと感じるところへはくまなく訪問する予定ですので、もしそんなお店を知っているという方は教えて下さい。

 さて、第一回目は茶店の「ガネーシュ」(1)。「喫茶店」と書くより、「茶店」の方がしっくり来るチャイで人気のお店だ。知ってる人も多いと思う。 僕がこのお店で好きなのは、まず天井。開業してから十五年、改装する機会もあったようなのだが、そのたびお客さんたちに反対されたりもして、たばこのヤニなどでしっかり茶色味がかっている。大雨のときに水漏れして来たこともあって、いっそう色付きが良くなってきたらしいが、それにしてもこのお店、三階建てのビルの二階にあるのに。いったい三階はどんな状況だったのだろう。

 まあ、それはさておき、改装しようとするとお客さんが反対したわけが、この天井を見ているとよく分かる。大衆浴場によくあった脱衣場の大きな羽根の扇風機 (2)もついていて、壁にいくつかの聞接照明と大きなテーブルに二つの暖かい色のランプ。とても落ち着く。アジア的だと言えば、チャイ (3)を出すお店なのでそういったねらいがあるのだとも言えるのだけれど、時間とともに作り上げられた天井の色合いは、 (特に喫煙者の人達にとっては)自分もその何分の一かを色付かせているのだという共犯意識に駆らせる。自分のニオイのついた、自分の場所になっているのだ。

 僕はこのお店でよくチャイを飲んでいるのだが、このチャイの濃さが僕にはちょうどいい。入によっては濃いという声もあるらしいけれど、特に歩きつかれて骨休め、みたいなちょっと気怠い気分のときは本当にぴったり来る。このルポのときにもご厚意でアイス・チャイを御馳走になったのだが、朝から雨の降る日で、春めきだしたころのあの独特のうすらぼんやりした翳りとまじりあって、僕はこんなとき決まってガラにもなくせつなくなるのだが、そのときのチャイは見事にそんな味だった。僕はある時期からコーヒーが飲めなくなったので、コーヒーの感覚はよく分からないが、紅茶は英国の三時のティー・タイム、仕事や家事の合間の一時の安らぎ、みたいなエレガンスで爽やかなイメージがある反面、実際には緑茶とは違った、飲んだあとにからだが重くなって高楊するようなダルな感覚が襲うことが多い。そういう、うっすらとした眠たげな疲労感みたいなものが、あるときには自分のからだの渡長にぴったり合うときがあるのだ。チャイの滝れ方についてのお話をオーナーの赤川さんから伺った。現地の滝れ方を尊重してこうなったのではなく、試行錯誤のうえ、自分の好きな味を求めると結局こんな滝れ方になったという。

 そういえば、どくだみ茶(4)は比較的新しいメニューだが、当時のスタッフがおいしいから、と持ち込んだものらしい。ケーキ (5)もそのときの材料と気分でメニューが変わる。僕は何やら信念めいたこだわりがあってテイストやレシピ、メニューが決まってゆく側面があるのではないかと思っていたのだけれど、それは思い込みに過ぎなかった。


 たぶん僕がそんな思い込みに囚われていたのは、アジア諸国や中南米諸国の国々のお茶や料理を出す店→一般的な価値鰻に囚われない考えの持主が多そうだ、といった、ちょっと考えてみるとひどく馬鹿げた短絡的な発想があったせいだろう。例えばレゲエ (6)といえばラスタファリアニズム(7)、なんて発想はその極致だし、誰かがインドに五回ぐらい旅行した、と聞いただけでけっこう「キテる」なんて軽いことを言ってしまいそうになる。 実際に信念めいたこだわりがあったり、「キテる」のは僕等のほうなのだ。様々な情報を鵜呑みにして、それが自身の意見なのか、他人が書いたり言ったりしていたことなのか区別がつかないようになって、杓子定規な一般論がいつの間にか大衆心理 H自身の価値観になってしまっている。レゲエと言えばラスタ、インドと言えば「キテる」、チャイを出す店と言えばこだわり、なんていうのはマス・メデイアが押し付ける一方通行な固定観念を基盤にした、とても狂信的な考えだと思う。

 赤川さんは二十八の歳までピアノを弾いていたと言う。ジャズが好きで、マイルス・デイヴイス(8)、ハービー・ハンコック(9)、ウェインーショーター(10)など、かじりつくようにコピー(11)したそうだ。二十年前のことで、今のように専門書もなく、もちろんコピー用の楽譜なんてものもない。聞いては覚え、それを音にする。それから赤川さんはからだをこわして喫茶店を始め、八一年にガネーシュを開いた。このときもチャイはおろか紅茶の滝れ方の本もない。すべては、とりあえず始めること、そして自分の確かなものを作り出して行くことだったのだ。

 また、同じような危険性として、僕等はこういった、目分達にとって未知の世界のものを受け入れるときに、「現地のものと同じかどうか」にこだわりがちだ。タイ料理の評価などはその典型だ。実際にタイの人々が食べているものの中には卒倒するくらい辛いものがあるらしく (12)、うまいまずいではなく、日本人には受け入れがたいものもあるようだ。だが、タイ料理に関してよく目にするのが「現地の味を尊重してほしい」とか「日本人に合わせた妥協の味」というような記述だ。確かに現地のうま味を台なしにしたものも多いのだろうし、現地のリアルな味を味わってこそ、その料理、もっと言えば人々の暮らしや思いも分かるのだろう。ただ反面、日本がそうして明治以降、欧米文化を和風解釈をとばして注入した結果が現在なのだ。良い悪いはともかくとして、江戸時代の祖先から見て、今の我々のどこが「日本人」なのだろう シンガポールでもジャマイカでも英語が話されている。その英語は、本場イギリスやアメリカ、オーストラリアの人々から言わせるとかなりくせが強い。へた、と言ってもいいだろう。しかし彼等はそういった言葉の土壌から新しい文学や音楽を創造している。それは彼等の言葉であり、消して輸入品ではないのだ。現地至上主義もいいが、自分のもっているものをそこに投入することもまたひとりの文化への可能性なのだと思う。赤川さんが「自分の好きな味」で作ったチャイは、ほかのどの国のものでもなく、日本のものでもない、赤川さんのチャイなのだ。そのことを赤川さんははにかみながら誇らしそうに語ってくれた。

 ビルの二階にあるガネーシュの横を通ると、一面ガラス張りになった向こうにテーブルと一対の椅子があって、それを見上げるたび、なんだかそこで話している人がとても楽しそうに見える。僕もあそこに座ってるとき、誰かにそう思われているのかな。




(1)「ガネーシュ」とはインド人の多くが信奉しているヒンズー教の神様の一人で、象の神様だ。学間・商売の神様であるらしい。ガネーシャとも言う。

(2) ガネーシュの扇風機は実際に回るらしいが、消防法によって回してはいけないらしい。
(3) 葉をミルクとともに煮込んで出す炊き出し紅茶。ミルクのまろやかな□当りがほかの紅茶とはかなり異なる。スパイスをあわせてカルダモン、アニス、ジンジャー、マサラミントなどのチャイもある。

(4) 健康茶として有名になった。名前のわりにはあっさり味。

(5) バナナ・ケーキやチーズ・ケーキ、レアチーズ・ケーキ、シナモン・ケーキなどがあるが、取財中にもメニューは途中で変わっていた。

(6) ジャマイカでリズム・アンド・ブルース(ブルースの進化した形)の影響を受けて誕生した「スカ」という音楽が更に発展して作られた。ンチャ・ンチャとひきずるようなビートが特徴で、七〇年代に衝撃的な登場をした。

(7) 70年代レゲエ・ミュージシャンの多くが信奉していたジャマイカの新興宗教で、エチオピア国王のハイレ・セラシエを生き神と仰ぐ。ガンジャ(大麻)による意識の拡大の効用もうたっているようだ。

(8) その登場から引退まで、とかく疾走を続けたジャズ界の帝王。ギル・エヴァンスとのオーケストラをまじえたコラボレーションや、一定の規則性を音楽に持ち込むコードを離れたモード奏法の探求、ラッシュ・フイルムを見ながら即興で伴奏をつけた「死刑台のエレベーター」のサントラ、ボサ・ノヴァやファンクの消化、ラップヘの接近など、スクエアになりがちなジャズ界にあって革新的な才能を放ち続けた。

(9) マイルス・デイヴィスの門下生のピアニストで、モード期やウェイン・ショーター時代を長らく支えた。その後エレクトリック・ピアノを駆使したファンクを開拓した。しかし、マイルスの門下生はずば抜けた才能をもっているのに、なぜか独立後、大きな仕事を残さない。例外は60年代ジャズの一種の象徴件ジョン・コルトレイン。

(10) 同じくマイルス・デイヴイスの門下生で、一時期はリーダーのマイルスを抑えて曲を提供し、持味である神秘的な作風を遣憾なく発揮したサキソフォン奏者。のちにウェザー・ステーションを結成しフュージョン(様々な音楽が混合してできたスタイルをさすが、音楽ジャンル上では、70年台に流行したロックとジャズが主に混ざりあってできたスタイルを指す。演奏者の技術を最大限に披蕗する見せ場が多い)を極めるが、作風に奔放さが失われて行った。フュージョン・ブーム衰退後は特にそうだ。

(11) ある楽曲を原型のままになぞらえて演奏すること。

(12) タイで本当に辛いのはカレー類ではない。タイ・カレーはココナツミルク(ココナツの果肉を絞って取れる白い果汁)が入っていてまろやかだ。事情に詳しい森技卓士氏によると、サラダが最も辛いらしい。実際僕がタイ料理店で食べたヤム・ウンセンという春雨のサラダはかなり辛かったが、たぶんそれでも日本風に唐辛子の量をずいぶん控えてあるのだろう。



● 赤川さんのお薦めのアルバムはマイルス・デイヴィスの「ESP」。ウェイン・ショーターが入って作曲を手掛け、マジカルな作風で魅了した時期の一枚だ。また、「死刑台のエレベーター」もお気にいりの様子。こちらは、同名映画のサントラで、多忙の中を呼ばれてバリにやって来たマイルスがフイルムのラッシュを見ながら即興で演奏をつけたという伝説の演奏。店長の竹下さんのお薦めはドアーズの「アン・アメリカン・プレイヤー」。ジム・モリスン死後に、彼の残した詩の朗読などに残ったメンバーが演奏をつけたアルバム。ギル・スコット・ヘロンなど、ポエトリー・リーデイングが再注目を集めている現在、もっと注目されていい盤だと思う。また、竹下さんはバンドでドラムスを担当していたが、現在は活動休止中とのこと。

● 竹下さんが以前おられた神戸店(大丸にあった)は、残念ながら再開の予定はないという。本店とはかなり雰囲気の違った神戸らしい店だった。

● ケーキはバナナ、チーズ、レアチーズがほぼいつもおかれているが、それ以外のケーキは目によって、気分によって変わるようだ。現に、インタビューの間にも、朝にはあったシナモン・ケーキはパセリ・ケーキなどに変わっていた。
● お店の真ん中にあるテーブルの壷はインドネシアのもので、赤川さんがたまに出掛ける旅行のときに買って来たものだそうだ。そこに差してある金色のスプーンは南米のお茶「マテ茶」を飲むときに現地の人が使用するストロー・スプーンなのだそうだ。熱くないのだろうか
● お茶の葉は年二回の小分け入荷を敢行して、コストが高くてもクオリティーを重視した姿勢を貫いている。
● チャイのうつわはホットのときでも取っ手がない。モれが以前から不思議だったのだが、現地で買ったものなので、理由はよく分からないということだった。




  ガネーシュ  席数20席/休みなし/10:00am〜11:00pm(日曜のみ10:30pmまで)


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