フリーペーパー・バックナンバー メニューに戻る
ぶらっと メニューに戻る

みみたぶ通信

§1 まずは、90年代型・音楽の認知と孤独について

音楽。すごい隆盛だ。不確かな僕の記憶によると、LP時代にはレコード店で何枚ものアルバムを抱えてレジに並んでいる客なんてごくまれで、何よりレコード店もそんなに多くなかった。大阪にもまだタワー・レコード(1)HMV(2)WAVE(3)といった大型店舗は出店していなかった。ミナミではなんばCITYの新星堂(4)、キタならエストのワルツ堂(5)かイングスの3階のレコード・コーナー(6)が僕の知っている限りのフロアの広いレコード店だった。

そのころ確か関西で最も大きかったのが神戸のミスター・ジャケット(7)でそのような形の輸入盤を数多く取り入れる形の大型店が大阪にはなかったと思う。そして今では、もうそんなことが遥か昔のような顔をして、街はCDをばらまくように市場に大量投入している。なぜ音楽がこんなに持て囃されるようになったか、ということもとても興味溢れるテーマなのだが、それはまたの機会に書くとして、今回の題材では僕が抱いているひとつの不安の話がしたい。

 音楽と僕らの垣根はとても低くなった。クラブ(8)はディスコ(9)よりずっとガードの低い「現代の祭り場」だ。気取らない人が思い思いに、音にあわせて体をゆらしたり休んだりしている。たぶん音楽の隆盛と平行してファッショナブルな若者も増えた(10)。特に男性ファッションは意識が大きく様がわりした。バンド活動をする中学生(11)といっても珍しくはなくなり、DJ(12)を目指す若者も星の数ほどいる。カラオケ(13)は老若男女を問わず、歌うことを照れから解放した。ライヴやコンサートヘも多くの人が足を運ぶようになり、そこでもノレばおどったり。音楽ジャンルへの偏見もかなりなくなり、若者からの故なき蔑視を受けてきた演歌も、エイジアン・ポピュラー(14)の注目や美空ひばり(15)、都はるみ(16)といった大御所の再評価で大いに認められ始めた。

 しかし、考えてみてほしい。僕らは日ごろ、どういう場所で音楽に接しているのだろうか? 自分の部屋、友人や恋人の部屋、喫茶店、あるいはウォークマン(17)で歩きながら……。そう。僕らはとても個人的な、狭い場所で音楽を聴いている。また、コンサート・ホールはそこに出場する人だけを見聞きしに来たのであり・ライヴ・ハウスやクラブは年齢層や好みによって細分化されてしまう。

 イギリスには多くのパブ(18)がある。そこには地元のバンドが中心になって近所のおじさん・おばさんや青年たちが自由に音楽を楽しみながら井戸端会議をしたり、泣き言を言い合ったり・ピンボールに講じたり、親戚に偶然出会ったり。彼等・彼女等が集まって来るのはひいきのバンドがその日出演しているからではないことが多い。そういう習慣なのだ。だから、自身の好みの音楽を演奏するバンドでなくても耳を奪われることはよくあるだろうし、バンドの側でも様々な音楽性を貧欲に吸収することも多い。僕の家の近所にパブを作れと言うのは無理だろう。ただ、日本では個人の趣向で人を分別してしまうことが多い。クラブでもテクノ(19)の日とレゲエ(20)の日とでは客が全然違うらしいが、それは簡単に想像できる。

僕等は音楽をおかしな偏見や序列から解放して来た。ロックがすべての音楽を凌駕しているとか、演歌は俗っぼいとか、そんな妄想はすべてくだらないことがわかった。僕の母は小学生のころ「黒い花びら」(21)を歌っていて祖父に「そんな歌を子供が歌うなんてけしからん」と大目玉をくらったそうだが、今では笑い話だ。また、父は若いころビートルズ(22)が嫌いで、マンボ(23)を好んで聴いたようだが、たぶん父に対する音楽的評価は5年前と今とで大きく変わっていると思う。それまで、音楽の数のうえでの趨勢ではロック支持者が圧倒的で、中でも聖域であるビートルズをけなすのはもってのほかだった。ところが、ワールド・ミュージック(24)が持て囃されて以降、マンボのリスナー(25)は風流な趣味人になったのだ。そして、ビートルズが世界をロック一辺倒にし、さまざまな音楽の萌芽を摘み取る決定打になったという批判まで飛び出すようになった。そうして僕等はとても並列的に様々な音楽を「認める」ようになった。どの音楽にも、良い部分も悪い部分もある。しかし、「認めた」ことによって僕等は自身の興味の対象外のものを切り捨ててしまった。「認められない」という関心さえ持たなくなったのだ。先の例を出すならば、テクノ・デー(26)にクラブに来る人から言わせれば、レゲエ・デーの人はひとこと、「違う」のだ。もちろん全く逆も同じ。「認める」ことによって自分とは「違う」世界に放りこんでしまったのだ。

 通信販売(27)やインターネット(28)、ウォークマン(29)、カラオケ・ボックス(30)。産業の発達は狙っているように人間を個人化していく。そしていつしか、死体は個人ではなく産業そのものに移行している。自分がどんな音楽を好きかを語ることが自分アイデンティティ(31)を語っていることとすりかわってしまう。好きなジャンルに没入する」とによって安心感を保ち、その狭いジャンル枠内での人とのつながりによって自己形成してゆく。自身が好きなものを「選ぶ」のではなく、好きなものが自分を「かたち作る」というパラドックス(32)。僕はオウム真理教(33)を求めた若者達の気持の糸口が、今の音楽の在り方から垣間見えるような気がしてならない。

高校生のころ、弁当がない日は五百円の昼食代をもらっていたが、これを3回辛抱すれば中古レコード(34)1枚買えた。電車代もなく歩いて中古レコード店巡りをして、たまに店員の人と親しそうにしゃべっているおじさんがカウンターに何枚もLPを積んで買っているのを見ると、それだけの理由で早く大人になりたかった。一枚一枚のレコードは家宝のように大切に聞いたし、今でもどの曲もよく覚えている。いい曲があればそれをだれかれ構わず聞かせ、否定的な事を言う奴がいれば徹底抗戦した。分からないジャンルのレコードに当たれば、その良さを探ろうと一日に何回も聞いた。そしてその良さが分かると自分がとても理解の深い人間になったような勘違いをして浮かれていた。ついこの間まで、青臭い思い出で恥かしかったのだが、今ではそんな時期を過ごせてよかったな、と思うようになった。

物分かりの悪さも大切だな。


123 今のところ大阪ではこの3店が大きい。タワーはアメリカ村と丸ビル地下に、HMVOPAと近鉄あべのに、WAVEはロフトとパルコにそれぞれある。

4 個人的にすごくお世話になりました。

5 今も商品構成は好きです。

6 名前があったらすみません。

7 いまだに行ったことはないのですが、僕には憧れの地でした。

8 もちろん学校の軽音楽部のことではありません。現代のダンス・フロア。

9 ジョン・トラボルタの「サタデー・ナイト・フィーヴァー」に象徴される時代から、マハラジャ、お立ち台なので世間を騒がせたが、一時消滅。今はパラパらから少し復活気味。

10 それは次回取り上げます。

11 職業柄、よくそんな話を聞きます。

12 ラジオの司会者がよくそう呼ばれているが、ここではクラブでアナログ・レコードを回している人のこと。

13 出てからしばらくはゲートボールと並んで老人の娯楽だったよな。

14 ワールド・ミュージック・ブームのおかげで特に韓国・香港・台湾・東南アジア諸国のポップスが広く聴けるようになった。

15 死んでから騒がれるのは仕方ないが、本人にとってはツラいだろう。

16 引退・復活やワールド・ミュージック・ブームで脚光を浴びた。

17 あれはやっぱり音の注射だ。空気感が音から感じられない。そして当然のように、個人的だ。

18 そういう音楽パブから出てきたバンドが70年代のパブ・ロックと呼ばれる一派で、のちのパンクスが生まれるきっかけのひとつを作った。

19 80年代にコンピューターを駆使してピコピコした音で登場した。

20 ジャマイカでスカが発展して自然発生。アフター・ビートでンチャ・ンチャと鳴る音が特徴。

21 水原弘の歌。

22 ビートルズはポップ音楽界では踏み絵のようだ。僕は踏めない。

23 当時のスターはペレス・プラード。「ウッ」というかけ声が特徴。

24 文字どおり世界の音楽。そのブームにより、欧米中心の音楽観が崩壊。

25 聞き手。

26 クラブでのイヴェントは開催される日の音楽ジャンルによって「○○デー」や「○○ナイト」のように呼ばれる。

27 カタログだけで商品を選んで何割くらい満足いくものが買えるのだろうか? それともやはり買い物にも行けないくらい忙しかったり疲れている人が利用するのか?

28 パソコン通信といえばオープンだが、ディスプレイに向かっている人をそばから見るのはあまり気持ちのいいものではない。

29 外に音がどれくらいもれているのか、常に気になる。

30 外国の人が見ておどろくもののひとつじゃないのかな?

31 自主性。

32 逆説。

33 現在、新興宗教が若手信者を集めるには、青年部のようなセクションの人々が取り持つコミュニケイションの役割が大きくものを言うのだろう。誰だって拠りどころがないことはとてもつらい。

34 当時はLP版がほぼ2800円で統一されていたので、中古盤の1200円くらいからの値段はありがたかった。


◆ 次号へ









SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送