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第3号レヴュー


映画

ガスパール -きみと過ごした季節(とき)- [原題;ガスパールとロバンソン]

 あてのない休日、たまたま居合わせた友達とぶらっと映画を見に行く。時間を持て余していた学生の頃ならいざ知らず、誰もが忙しい今となっては贅沢な一日。「Lマガジン」や「ぴあ」を買って適当な映画を探す。目にとまったのは色あせた一枚のスチール。乾いた空と土、木でできた手書きの看板の前に埃っぽい男が二人と老婆が一人。
 ミッシェル・ルグランが書きあげたスペインを思わせるせつない生ギターの音と夕焼けの海岸。捨てられた老婆を、人なつこい男(ロバンソン)が拾う。彼は相棒のガスパールと、大型ゴミとして捨てられた椅子を拾ってきて、使えそうなものにペンキを塗り直して売っている。ガスパールは「俺たちが何とかやって行くだけで精一杯なんだ」と老婆を捨てようとするが、ロバンソンは自身が捨て子だった経験からがんとして耳を貸さない。やがて三人は空き家を自分達の手で改造してレストランを開こうとする。その三人の間に芽生えて行く気持ちが、地の果ての色をした海や砂浜に並べられた色とりどりの椅子の映像を背景に、スクリーンからいつしか僕らに伝染している。ラストで幸せを射止めたロバンソンからガスパールがそっと去らねばならなかったとき、ひとり殺伐としたでこぼこ道を行く彼にしつこくつきまとう野良犬は彼と同じ目をしていた。
 映画館を出ても僕らはお互い無口なままだった。あてのない休日の感傷的なけだるさは映画の余韻と同じ手触りで相変わらず陽の光のように舗道に降り積もって澱んでいた。


美術

ゲーンズブール・コンプリートVol.1〜9 (日本フォノグラム)/写真、アート・ディレクション不明

 以前、ライターのU君がうちに遊びに来たときに、ミュージック・マガジンに載っていたブライアン・ウィルソンの最近の写真を見せたことがある。ブライアンは繊細かつ天才だったために自己コントロールが不可能になって長らく廃人同様の生活を送っていたミュージシャンなのだが、復帰しつつある彼の笑顔を捕えた写真を見て、U君はだしぬけにブライアンの顔の下半分を手で隠して「この人、目だけ見たら泣いてるやん」と言った。
 そのU君が楽しがっていたのがセルジュ・ゲンズブールの全9巻のCD選集のジャケット写真集だった。セルジュは発表するアルバムごとにその音楽性を様々に変えてきた人だが、第1巻でポーズを決める若々しい姿が、2週では生白い、目の縁だけ赤くしたヤサ男に、4集では視点の定まらぬ怪しげな形相に。5週ではさらに目がうつろになり無精髭も生え、8集では中年体型の半裸のうえにアルコール臭やニコチンのにおいが漂ってくる。紙芝居でも見ているように分かりやすい。そして、たぶんU君はブライアン・ウィルソンのベッドに溶けるように過ごした数十年間をさびしい目から読み取ったように、セルジュの放埓な生活をそのまま写実したポートレイトが、その無軌道ぶりに似合わず馬鹿正直にヴィジュアルに反映されてしまうセルジュの生真面目さも垣間見せていることがおかしかったのだろうと思う。先日「セルジュ・ゲンズブール『最後のライヴ』」と銘打たれたコンサート・フィルムの上映を見てきたが、ステージ上でサングラスをサッとはずしてみせ、ジタンをふかしつづけた彼が名曲「ジャヴァネーズ」の観客の大合唱を受けたあとにくわえ煙草も指も震えていたのが笑いを誘った。
 結局、彼は真剣なのだ。だからこそおかしい。
 それにしても、今、真剣なことを笑ってもよい、笑いを誘うことがその人を正面から見ていることになるのだ、なんてことがほかにあるんだろうか? そんな人、いたら教えて。








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