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レヴュー04

イヴェント

エイサー/大正区千島南公園/96915

大阪では大正区に沖縄出身者が多い。沖縄料理の店や琉球舞踊の教室、沖縄関係の出版物を取り扱う関西沖縄文庫など、沖縄に直接関連する店や施設も多く、沖縄県人会の結束力の強さも伝え聞く。沖縄は自身の文化を大切に育む土地なのだ。

エイサーは沖縄各地で旧盆に催される祭りで、目にあでやかな琉装を身につけた踊り手たちが、大太鼓や両面太鼓などを打ち鳴らしながら勇壮に踊る。実に男性的な躍動感があるのだが、大正区のエイサーでは女性の踊り手も多く(最近は沖縄本土でも女性が多く参加しているらしい)、彼女等の男とは違った身のこなし、男とは違った琉装とのしっくりした馴染みかたが印象的だった。

最後はお決まりのカチャーシー(テンポのはやい民謡にあわせた踊りで、このときは観客もともに踊る)で、老いも若きも、男も女も、スーツ姿もジーンズ姿も、沖縄出身者も通りすがりの人も、みんなが至福の笑顔で両手をあげて踊っていた。明らかに河内音頭の振りで踊る者もいれば、たぶん思い付きで適当な踊りを繰り広げる者もいる。その様は、やはり圧巻だったし、ひさしぶりに「爽快」という言葉を思い出させた。それは決してレイヴなどではない。その形容が日本で使われたときにはある種の閉鎖性をにおわせるからだ。視界を海にひらいた風が、そのときそこに踊った誰にだって感じられたことだろう。

 レイヴ→主にクラブやダンス・ホールで踊って自己解放を目指すスタイル、あるいはそのパーティー。踊り方や服装が自由。英国  に端を発するとされている。


書籍

「雨の音がきこえる」大島弓子 − 大島弓子全集第2巻「ミモザ館でつかまえて」所収

日本で「作品」と名のつくものには断面的なものが多い。文学作品にしろ、楽曲の歌詞にしろ、映画にしろ、そして漫画にしても、描かれている時間や空間がごく限られた小さな中に限定されていていわゆる「切り取り」の感覚で見せる手法が圧倒的に思う。例えば題材が恋愛であるならば、主人公の男と女の二人の関係が完全に主体におかれ(空間的限定)、その恋愛の成就あるいは終焉が物語を完結させる(時間的限定)

数ある大島さんの作品の中でも初期のこの作品を取り上げたのは、特にストーリーの重層性に作品の核があるからだ。彼女の作品は登場人物が主役/脇役の垣根を飛び越えて生きているのが特徴で、この「雨の音がきこえる」でも夫妻と四人の姉妹、学校への転入生、雑誌の編集者の女性がみな、人間としての湿り気をもって僕等に体温を伝えてくれる。さらに、ここでは普通一つのストーリーのクライマックス〜エピローグになる主人公の少女と血縁のない母親との和解とその母の死〜を通り越えて物語が展開されてゆく。ここにこのストーリーの深みがある。漫画というものはそのエンターテインメント性から、次々と様々な事件が物語の上に起こるものだが、そうした表面上のせわしない動きの裏側にゆるやかに流れる登場人物個々人の思いや感情、さらには物語目体が喚起する情操が、「母の死」を体験してもなお根底に流れつづけている力強さに僕等は打たれるのだ。その後もストーリー上を駆け抜けてゆく事件群は登場人物たちを翻弄しつづけるが、読み手の僕達には「それでもなお生きて行くものたちの姿」が見えている。

一人の人間の死によって幕が下りてしまうわけではない人生の連続性、生のありさまが根底に流れていることを発見したとき、僕達はこの物語を読むのではなく感じることができたのではないだろうか。

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