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みみたぶ通信

§5  ピチカートとフリッパーズ周辺@  -日本のチャートは変わった

 首っ引きになって突き合わせしたわけではないが、日本のチャートと欧米のチャート関係は確かに変化しだした。ポリスやU2の頃まで、日本のチャートは洋楽の○ヶ月遅れだとか言われて来た。米英で沸く人気がそのまま日本に輸入される、そんな形だ。邦楽であっても、欧米で起こるブームの煽りが音楽界を間違いなく席巻したものだった。ピストルズの頃には過去の権威はすべて否定され、XTCの前では楽観主義的なバンドは笑われ、スクリッティ・ポリッティの季節には肉体派バンドは暑苦しがられ、と、そんな風に欧米主導型の音楽事情が大手をふって歩いていた。

 布石はYMOや少年ナイフ、ボアダムズが受けた海外での評衝の日本逆輸入だったのだろうか、それとも、サロン・ミュージックやサイズ、パール兄弟、PINKといった「渋谷系」の元祖ととらえてもおかしくないユニットの、セールス的には地道な努力の成果だったのだろうか。現在の日本のチャートを賑わすのは小室哲哉、小林武史、奥田民生らの有名プロデューサーもの、スピッツやミスチル、L⇔Rなどポップン・ロックの王道バンド、スチャダラや電グルなどヒップホップ勢、力ーディガンズなどスウェーデンの流れ、Xやルナシー、黒夢などヴィジュアル系ハード・ロック、Ellie(元ラヴ・タンバリンズ)やチャラ、UAなどソウルよりのガール・ヴォーカル、ジュデイー&マリーなどビート・ポップス、ベックや暴力温泉芸者などオルタナものetc,etc……そしてピチカート・ファイヴとフリッパーズ・ギターの皆とその申し子たち……。イギリスやアメリカのチャートと比べてみても、あまりにもちがう。特にこのところ日本ではポップス復権が著しいが、欧米にその影は決して濃くない。ロック中心のチャートに依然変わりはない。

 チャートが日本独目のものになって来たというのは、誇れる事実だと思う。何につけ模倣上手で世渡りしてきた日本人にも、欧米の受け売りではなく、自分達のオリジナルな感性で音楽を選ぶ時代がやって来たのだと思うと、若い僕にも一種の感慨がある。しかし、今、自分で書いた一文のその中にこそ「待てよ?」と僕の喜びに水を差す要素がある。それは「模倣上手の日本人」という箇所だ。

 僕等のこの感性は本当にオリジナルなものなのだろうか? 例えば「東京発」だとが「渋谷系」だとかの形容がよくあるが、このムーヴメントはまさしくそういう東京発のブームで、そうすると欧米主導が東京主導に単にシフトしただけなのではないだろうか? もちろん、それらの動きか東京を発信源にしているというそれだけで自国オリジナルであるとは言える。だが、視点をリスナーに転じてみると、欧米発であろうと東京発であろうと、その時々の流行に無自覚に乗った聴衆がブームを支えている構造は不変に見える。真にオリジナルな感性で若者が音楽を選んでいると断言するには、あまりに受け手(リスナー)にインデンペンデント性がないのだ。

 ようやく本題に入りつつある。「ミュージック・マガジン」1993年7月号でピチカート.ファイヴの小西康陽氏は、当時発表したばかりの新譜「ボサ・ノヴァ2001」を自身で「ピチカート.ファイヴの具体的なファン…ベレー帽かぶっててさ、アニエスb.着て、白いデニム着て、リュックしょってる子たち。フリッパーズ・ギターが好き、オリジナル・ラヴも好き、UFOもついでに好きで、渋谷の大型店でレコード買う…っていうような、そういう子たちを当て込んで、“君ってこれ好きでしょ!”って感じで作ったレコード」と発言している。そして更に、「世界中でドアーズ分かってんのは俺だけだって、(ドアーズの)ファンはみんなそう思っている。ピチカート・ファイヴもまさにそれなんだな。そうなりたいもん。だから、ピチカート・ファイヴの音楽ってヒップな人のための音楽じゃなくて、ヒップだと思い込んでいる人のための音楽」と言い切っているのだ。

 つまり、僕なりに解釈すれば、小西氏はご自身も含めたリスナーに対してはっきりしたあきらめを持っているのだ。ソウル・フラワー・ユニオンや喜納昌吉&チャンプルーズとはちがって、ピチカート・ファイヴは彼等の発表した曲の元ネタさがしに血まなこになるようなディープなマニアではあるが、その音楽をなぜ聴くのかという根本的な疑念を全く抱くことのない、批判精神を持たない(あるいはそれをクサイ、アツイと言ってしまえる)リスナーをここではターゲットとしていたと言えそうなのだ。そういえは、音楽用語に「気分」という語がはびこり出した時期と重なってるではないか。では、ピチカート・ファイヴは新種のBGMなのか? 単なる「気分」であり添え物なのか?

 かつてピチカート.ファイヴとフリッパーズ・ギターは音楽ジャーナル各誌で大論争を起こした。彼等のフェイクで間接的で屈折率の高い、勘違いをできるだけ引き出そうとするふるまいははっきりとした賛否両論を呼び、そして、彼等がシーンの真ん中に完全に根を張った今、そんな論争は過去のものになった。商業メディアはほとんどが必ず長いものに巻かれるからだ。しかし、かつてパンクやニュー・ウェーヴやテクノがそれぞれ意味合いを持っていたように、彼等の蒔いた種には何らかのベクトルがあるはずだ。放っておくと日本のジャーナリストたちはこのシーンを煽るだけ煽って、頃合を見るや「伝説」だとか言いかねない(いや、言う。絶対言う。ほら、現にもうフリッパーズは…)。この潮流の真っ只中で、せめて僕等がどこにいて、とこへ流れているのか探してみたい。


――つづく――


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