フリーペーパー・バックナンバー メニューに戻る
ぶらっと メニューに戻る

みみたぶ通信

§7 ピチカートとフリッパーズ周辺B 一九九一年の「女性上位」と「世界塔」

 まずは、ミュージック・マガジン一九九一年十月号の小野島大氏のクロス・レヴューから紹介しよう。ピチカート・ファイヴの六枚目のフル・アルバム「女性上位時代」について。―「フリッパーズ・ギターとの共通点を指摘されるけど、全然違う。フリッパーズは時代への切実な対時表明だが、これは単に資本と表層の流行の中で消費されていくだけの音楽。志が違うのだ。妙に高みから見下ろすような態度も鼻につくし、聴いてるとなんだか馬鹿にされたような気分になってくる。こういうのを褒めりゃセンスがよくて音楽がわかってるみたいな風潮も大キライ」―これが全文だ。

 『女性上位時代」はピチカート・ファイヴが現在のヴォーカリスト野宮真貴を迎え入れて初めて製作したフル・アルバムで、それ以前に一か月に一枚ずつ含計三枚出したミニ.アルバムを含めて、音楽カタログよりも録音芸術としてのアルバム製作を目指したものだ。音像やムード設定が極端に行われ、録音技術が駆使され、あるときにはモコモコしたヴォーカルが他の楽器に比べかなり小さな音で聴こえるだけだったり、しりとりやインタヴューにバック演奏をつけただけの「曲」と呼べるのかが疑問だったりするトラックがぎっしりつまっている(1)。そして、同号に伊達政保氏が触れているように、このアルバムのヴィジュアル面のコンセプトは「女性雑誌を読んでいるような感じ」。ハルメンズ(2)やポータプル・ロック(3)に参加していたころから、自分の個性を吐き出すより他者が提供する場面設定に自分を合わせることの得意な、自分をカラッポにして心からほかの誰かに扮装してしまえるヴォーカリストだった野宮真貴は音像面でもヴィジュアル面でもピチカートファイヴにぴったりだった。前任ヴォーカリストである田島貴男が「できるだけ思い入れを持たずにクールに歌ってくれ」と言われつつ、どうしても沸き上がるホットさを隠せずオリジナル・ラヴで肉声の持つ情熱を昇華させ痛快な歌声を聴かせているのとはあまりにも対象的だ。「そうよ、私はデタラメで気まぐれで生意気で ワガママでぜいたくで気取り屋で 嘘つきであやふやでいい加減 だけど私は許されちゃう それは私が可愛いから」(私のすべて/『女性上位時代」所収)「いつだって音楽に夢中でゴキゲンみたいね 一日中頭の中はソレばっかりね」「まあ、いいでしょう それはそうよね 考えても、ね 大切なことなんて 何もないけど 大人になりましょう ねえ、大人になりましょうよ」(大人になりましょう/同)などとサラリと歌ってしまえる人はそうめったにいるものじゃない。

 ほぼ同じ時期に出たフリッパーズ・ギターの三枚目にしてラスト・アルバム「ヘッド博士の世界塔」を小野島大氏がどのように評したのか、残念ながら資料が見当たらなかった。このアルバムを支持している評論では、九一年八月号の菅岳彦氏の「ポップスの作りものっぽさをシュミレートして楽しんでいるような、究極の匿名性がフリッパーズ・ギターの持ち味だ。この新作もその点が変わったわけではないけど、ミイラ取りがミイラになったみたいに、目分たちが仕掛けた罠に自らはまって青スジ立ててるような、マッドなテンションが漂っているのがおもしろい。偏執狂的に凝った音には、今までにないヘヴィさが同居している」との文章が目についた。このアルバムはまさにサンプリング(4)の洪水で、誰かの曲のフレーズをネタとして曲の構成の中に用い、いくつかの借り物の音を使って曲を仕上げる、コラージュ・アルバムなのだ。彼等自身はこのアルバムについてのインタヴューで、「韻文的なアルパム」「(『ヘッド博士の世界塔」で』なんか自身のこととか言っちゃってさ。何言ってんのって感じ(笑)」と答えている(新潮文庫『ポップス・イン・ジャパン』より)。アルバム、ラストの曲「世界塔よ永遠に」でその傾回は顕著だ。「ところが全てが夢なわけでもないし そもそも全てと呼べるものなどない! 永遠望むほど闇は更に深く 動けば沈むよまるでアリ地獄」「僕は穏やかに死んでゆく いつも少しずつ死んでゆく ひどく穏やかに死んでゆく 僕はやわらかく死んでゆく 言葉などもう無いだろう」―ここにはもはや韜晦や挑発をせずにはおれない彼等の羞恥心はない。わざと遠回しに婉曲した物言いをし、メディアに対して扇動的な態度を取り続けた彼等は、自閉世代の代表のように報じられた。異様に凝った音づくりと、一種の盗用であるサンプリングという方法論、洒落たコード進行とメロディに乗りながら「なにかウラがあるだろう」と思わせぶりな歌詞(それがたぶんこの国では文学性と呼ばれる)、はぐらかしばかりのインタヴュー。しかしそれらはすべてポスト・パンクの名で語られる恥ずかしさからの隠れ簑だったように思う。日本、特に東京では恥ずかしさをもつことが自身の美学たりえている。プラスしてゆくのではなく、マイナスしてゆける潔さが持て囃される。シンプルな部屋にミニマムなファッション、何事につけ偏らず過剰に期待しない。その美学、照れがトーキョー的だと捕えられれば「日本の現実を反映している」ことになり、鼻につけば「お高くとまったお坊ちゃんの道楽」になる。しかし、彼等はこのアルバムで少なくとも詞の世界では自己を吐露した(私小説的な展開を見せた)。ヴィジュアルも同じようにコラージュを多用して不安定な自己をそのまま反映している部分が多い。冒頭に引用させていただいた小野島大氏の「フリッパーズ→時代への切実な対時」「ピチカート→資本と表層の流行である消費音楽」という評はひとつの確固とした意見ではあると思う。だが、果たしてそれだけだろうか? 極めて乱暴に言うと、韻文や私小説などの〈文学〉が、ファッションや録音芸術などの〈サブ・カルチャー〉よりも高尚な優れた芸術なのだろうか? また、ポップスである以上、そこには消費されるはかなさの美学もあるのではないだろうか? あるいは、自閉を匂わせるフリッパーズと自閉を明確に見せるピチカートの聞には、もっと違った観点からの照射が必要なのではあるまいか? 以下、次号に続く。

1 そのことは同誌九一年九月号の田口史人氏のレヴューに詳しく触れられている。

2 サエキけんぞう、上野耕路、比賀江隆男、今泉敏郎、石原智広ら、ジャパニーズ・ニューウニーヴを代表するメンパーで、テクノに先便をつけたパンドのひとつだった。のち彼等はパール兄弟、ゲルニカ、ヤプーズ、タイツ等に参加し、時代をリードした。野宮真貴は友人ゲストとしてレコーデイングに参加。

3 ニューウェーヴ・ポップスを担うバンドとして親しまれた。野宮真貴はこのバンドを「みんなでわいわい騒いでやっていた友達バンド」と、確かあるインタヴューで答えていた。気がつけぱ、九〇年代には皆が「プロ」になっていた。

4 主にサンプラーという機械を用いて録音された音を音階化したり加工したりリズムに加えたりすること。過去に発表されたレコードや生楽器から音を拾い、シンセサイザ」によって簡単に再生することができる。


◆ 次号へ









SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送