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みみたぶ通信

§13 作り手のこと/受け手のこと

 時には街頭の大型ハイビジョンの前で、時にはお茶の間の二十六インチの前で、いわゆる「おっちゃん」たちがナイターを見ながら檄を飛ばしている。銘々がチームの監督の如く、やれ代打だのピッチャー交替だの、あれこれ策を弄し、届かぬ声を電波の向こうに投げかけ続ける。ところで、このヤジともいえるおっちゃんたちの試合の読みとプラン、これが侮れない。「次の球はボールだろうけど、バッターはきっと大振りして三振だ」なんて言ってて、本当にその通りだったりする。あながち「素人の浅知恵」ってだけでもないのだ。

 もちろん百戦錬磨の名監督がそこいらの付け焼き刃のヤジ馬視聴者に劣るわけでは決してない。が、ではなぜ彼等の言い分は当たるのか? この珍現象の説明のひとつには、監督と観客と、どちらが冷静なのかというポイントが挙げられよう。監督は試合の流れを冷静に見極め、適材を適所に配することに徹するのが仕事なのだが、人間誰しも、自分が渦中の人であるときには周りが見えないものだ。ビールなど片手にナイター観戦を楽しんでいる観客は肩の力が抜けているぶん、試合を客観視できよう。だから、彼等の罵声はけっこう当たるのだと言える部分もあるのではないだろうか。

 さて、音楽である。例えばバンドのメンバー募集。楽器店に募集のチラシを貼らせて貰ったり、雑誌に投稿したりするのがアマチュア・バンドのメンバー募集の一般的なやり方なのだが、この際に大切なのは、どんな音楽をやっているのか明記すること。「ブルースやってます」とか「JAM(1)みたいな感じ」とか、具体的に音が判る書き方をしないと、読み手はイメージできないのだ。僕だって、「好きなバンドはビートルズ、ローリング・トーンズ」とか書かれていると「ああ、俺も俺も」って頷くけど、自分が募集の紙を書くときにはうんと悩む。だって、「〜っぼい」曲を作ったり演奏したいから音楽をやってるんじゃなくて、自分が聞いてて楽しいものをやりたいからだ。何かの模倣ばかりやりたいわけじゃない。

 お稽古ごとで楽器をはじめて、それが好きだったという希有な体験を持っていらっしゃる方を除いて、ほとんどの方はTVやラジオから流れてくる流行歌や、家にたまたまあったレコード類を通じて「音楽」を初めて好きになったのではなかろうか。楽器の演奏よりも先に曲を聴く楽しみからスタートしたならば、その音楽性の幅はとても広かったはずだ。幼少期からクラシックしか聴いて来なかったとか、幼稚園児の頃からレゲエにはまってたなんて、ちょっと不自然だ。だとすると、なぜバンドのメンパー募集広告に「○○やりたし」なんて書けるのかが僕には判らない。自分が音楽を聴いていて、それを表現する側に回りたいと思うのは自然な推移だ。ならば、自分のバック・グラウンドになっているはずの様々な種類の音楽のある一部分だけを限定して「○○やりたし」なんて言い切れるのが不可解なのだ。よしんば「若い頃には『○○にハマる」なんてよくあることなんだから、特定の何かに憑かれたように熱を上げて、それが『○○やりたし』になるんだよ」と言える部分があったとしても、僕の知っている範囲では、ヘビメタ好きで聴くのも演るのも同時進行的に好きだという人が、意外とジャズのCDを「愛聴盤なんです」と紹介してくれたりもすることが多い。その逆に、あれこれのジャンルの音楽の演奏に携わっている人が、意外に一つのジャンルの音楽しか好きではないなんていう事態は極めて希だ。

 歌手にせよバンド・マンにせよ、音楽を表現する側に立つ人は、文字どおり渦中の人だと言えるだろう。まあ、普通に考えて、音楽がすごく好きなわけだ。しかし、彼等・彼女等が紡ぎ出そうとする音は時に、非常に偏狭で平凡だ。そして、たまたまバーで隣席になったのがきっかけで、たまたま音楽の話が出たような、音楽的な結び付きでない出会いをした人とはとても自由で型に囚われない音楽話ができたりする。特にアマチュア・バンド・マンがひどい。例えばメンバーを考えるとすると、ドラムとギターとベースとヴォーカルと……てな風に、バンドの形式を条件反射のように想定して疑わない。そして上手いとか下手だとか、そこばかりにひどくこだわる。ロックの神話なんてエンド・ロールが出て久しい今日この頃、パーカッションとウクレレと木管のトリオのバンドが珍しくも何ともないし、ヘタだからこそ出る味があったりして、結局は技術よりセンスなんだという事実もかなりの人が知っている。なのに、アマチュア音楽人にはそれが判らない。楽譜が読めないプレイヤーを馬鹿にする人がいれば、一方で楽譜にしがみつくプレイヤーを融通が利かない堅物と決め付けてしまう人もいる。

 耳にタコができるくらいよく聞く話だが、音を楽しむから「音楽」なのだ。別段うまくなければいけないわけではないし、ましてや「ビートルズ風のバンドやりたし」の声の下に集まったバンドがビートルズ・テイストを離れてはいけないなんてちゃんちゃら可笑しい(2)。そういった意味では、作り手よりは聞き手のほうが音楽的には自由な発想を持っていることが多い。

 まねることは大事だけれど、それが方法ではなく結果になってしまうのは淋しい。夢中になったら周りが見えなくなるのは恋も野球も音楽も一緒。せっかくなら音楽を聴くように音楽を演りたいものだ。



1 ジュディー・アンド・マリーの略。とにかくアマチュアにこのバンドの模倣者は多い。しかし結局、プレイヤーの男子たちはヴォーカルの女の娘目当てで、ヴォーカルの娘は「チャラとかUAとかも好き」とか言う「女の娘から見たかっこいい女性」信奉者が多いのが実際のところだと思う。
2 かのローリング・ストーンズは一九六八年、ビートルズの模倣を離れて絶対的存在になった。


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