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レヴュー14

音楽

ターター・ヤング 「オー・オイ」(“AMITTA TATA YOUNG”,“TATA REMIX”所収

 スナップ写真を眺めてその頃のことに思いを馳せるのは楽しいが、音楽を聴いて過ぎた日々を思うのは時にせつなすぎる。写真に写し撮られた思い出は、たとえチクリと胸に痛くても軽く笑って人に話せるが、音に込められた思い出は破裂した水道管のように、とめどなくあふれ、それがあまりにも個人的は思い入れだから、人には話しづらい。そんなときには曲の音楽性や意識の高さや作家のことなんてぜんぜん関係ない。思い出と別ちがたく結びついた曲は、その人だけにとってはただただ美しく、せつなく、楽しく、やさしい調べを持っている。
 タイのアイドル歌手、ターターの歌う「オー…オイ」はひたすら元気でかわいい、ストレートで明るい曲だ。しかし、何度となく旅行中に耳にした僕にとっては、この曲は単なるヒット・ポップスでも消費音楽でもない。望郷の念にも似たタイへの狂おしいくらいの思いの何分の一かはこの曲が担っている。「オー…オイ」が入ったCDをかけるとき、僕はその向こうに幻のタイを見ているだろう。
 帰国して彼女のCDやテープを探してみたが、簡単には見つからない。タイではどんな小さな店でも売っていた彼女のアルバムが、この情報大国の日本で見当たらないことが不思議だった。でも、日本でタイのアイドルのニーズがどれだけあるというのかを考えると、それはもっともなことなのだった。どうせタイの音楽に触れるのなら、もっとタイらしいエキゾチックなものを求めるのが一般的なはずだから。
 けれども、CDやテープが見つからなかったからこそ、僕の思い出は「オー…オイ」に集約された。この曲が流れるあいだ、僕は初めてレコードを買った少年のときのように甘美なひとときに蒼くふるえる。


書籍

「旅に出たくなる地図・世界編」(帝国書院)

 食べ物に好き嫌いの多い人は人生の何分の一かを損しているなどとよく言われる。地図もまたそんな一面を持っていると思う。当紙四号でも八田さんが「地図を利用するのではなく読む」ことについて書かれていたが、地図を見るのが苦手な人は、小説を読んでも活字を追うだけで頭にストーリーが描けない人と同じように、やっぱり人生をちょっとばかり損している気がする。
 人は日常、地上からせいぜい数十m程度のところで暮らしている。どこかへ移動するときには飛行機を使うほかは地面からそう高いところにはいない。道を行くとき、基本的に僕等は「次の角を右に曲がって、三本目の路地を左に入って……」といった調子で移動してゆく。しかし、地図は言ってみれば鳥の目になって描かれたその地の俯瞰図だ。僕等はその一枚の紙切れによって地面をはるか離れた空から見下ろす視座を獲得できる。そして、その地図の中では僕等はもはや「右へ曲がって左に入って」特定の場所に急ぐことはない。地図帳ならば、リオデジャネイロのページをいくらか繰れば、すぐにでも僕等はケープタウンにでもリスボンにでも上海にでも行けるのだから。
 地図を眺めるとき、僕はもう右だとか左だとか、そんな不確かな、自分が存在しなければたちまちかき消えてしまう概念にしがみつかなくてもいい。人間によって仮に与えられた決め事とはいえ、地図の中では地軸の方向(南北)と地球の自転の方向(東西)によって尺度を与えられている。僕が存在しなくたって、その町では東から西へ日が巡り、方位磁針は南と北を指し示すだろう。
 パラパラとページをめくると、こうしている間にも地球のそこここに人の暮らしがあり、「右や左」に翻弄されて過ごす毎日をつかの間はなれて耳をそばだてることができる。あなたはそこからどんな町の音を聞き取ることができただろうか?


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