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みみたぶ通信

§14 女牲上位時代、あるいはサーヴイスとしての女性@

※ この記事は一九九七年の著述に加筆したものである。

 そこは女の娘の部屋で、壁には「ロシュフォールの恋人たち」のポスター、ヴィデオ・デッキに「アイ・ショット・アンディ・ウォーホル」のソフト、そしてテーブルの上に重ねられているのはyes mama OK?とスモール・フェイセズ、ビョークのCD。僕にはなんだか、休日の彼女が洗濯しながらバート・バカラックのアルバムを小さな音で流している様子がハッキリと思い描ける(1)。そして、ほんの少しだけほほえましい気持ちになる。

 ところがどうだろう。これが男の部屋だったとすると、事態が一変するのだ。セレクトの冴えた小じんまりした映画館でレイト・ショー上映されるような映画をチェックし、クラブや映画の洒落たフライヤー(2)を集め、ソフト・ロックやモッズからテクノまでを趣味にする男。シャルロット・ゲンズブールの写真集を持っていて、灰皿には吸い差しのジタン(3)。―――そのイヤミさは、男女の性差ではない。キティちゃんやピングーの縫いぐるみを男性が「かわいい、かわいい」と言う姿が見苦しいのとはワケが違うのだ。シャルロットは男性に挑発的だし、モッズは六〇年代のスウィンギング・ロンドンで流行した男性のファッション/ライフ・スタイルだし、ヌーヴェル・ヴァーグやニューヨーク・アンダーグラウンド・シーン(4)は今で言うオタクの男たちのケンケンガクガクの恰好の対象だった。しかし、いつしかこの九七年にはそれらは、女性の側にあってはポップな脈動を起こし、男性の側にあってはスノップな臭気を放つようになったのだ。

 「江角マキコが好き」だとか「吉川ひなのはかわいい」とかいう声を何人かの女性から聞いた。同調する女性はかなり多いと思う(5)。しかし、同じことを男性が言うと非難が沸く。「江角マキコはがさつだ」とか「キツそう」だとか、「吉川ひなのが好き? お前、ロリコンか?」とか、まあたいていそんなレヴェルのお話なのだが、これがまた、こういう声を上げるのは圧倒的に男だ。しかし、女性の側では河井我聞の性格の悪そうなところに惹かれようと、Kinki Kidsねらいの美少年キラーであろうと、あまり非難対象にならないフシがある。松任谷由美は「私は天才」と豪語するが、男にはこれが言えない。ダウンタウンの松ちゃんくらいか。お笑いのフォーマットに立ってしかそんなことを言えないのが悲しい(6)。

 西高東低ならぬ女高男低だと言われ続けている。女が強い時代。それは女性の社会進出がもたらした影響なのかもしれないし、あるいはそれでもまだ資本の中枢に執心し堅持している男性が余裕を見せ、女性を手のひらで泳がせておこうなんて根性の腐ったことをしている現れなのかもしれない。だが、そのどちらも僕にはピンとこない。時代の流れには色々な背景があり、決して人間が意図しただけでは大きな潮流は生まれては来なかったと思うのだ。では、今、なぜ女性にパワーがあるのか? 

 さきほどいくつか挙げた例は、すべて女性の「自立性」に収斂してゆく。女性における「カッコいい」「かわいい」は男性のそれとは違う。男性があくまで直線的にダンディなものをかっこいい、キュートなものをかわいいと表現するのに対し、女性はワガママであろうとクールであろうと、自分を貫き通し自身のスタイルを確立したものに憧れて「カッコいい」と嘆息し、自分が思わずかまったり触れたりしたくなる母性本能をくすぐるものを素直に「かわいい」と認めるのだ。つまり、「カッコいい」は力強い自立への憧れ、「かわいい」は子を守ろうとする母の力(愛するものをかばおうとする自身の自立性の発露)なのだと僕は理解している。江角マキコがかっこいいとか吉川ひなのがかわいいとかいう土壌には、たえず一個の生命体であろうとする女性の自立への希求と自立した本能の確認が交錯しているのだと思う。―――というのがまぁ、一般論か。それはそれで正論だと思うから僕も何行もツラツラ書いたわけだが、ハッキリ言ってそんな認識はオリーブ少女たちにはあまりないだろうし、第一、こんな解釈そのものが極めて男性的なのだ。

 結局、「カッコいい」イコールわがままの美学で、「かわいい」イコールおもちゃ感覚なのではないだろうか。冷静に考えて、今の女性に自立精神や母親の心が(たとえ深層心理にでも)あるかと言ったら、まずないだろう(それは男性についてもまったく同じ)。
とすれば、これはまさしく子供心理ではないか。やんちゃしてても存在感のある同級生にあこがれ、縫いぐるみを抱いて寝る気持ちの延長線上にこれらの時代の気分が現れているのではないか。ははぁ、だとすれば、女性も男性もコドモな今、強いのが女性なのは当然なんだ。二十歳あたりまでは、成長が速くて大人びているのは女性だもの。

 それにしても、コドモっぽさやワガママを自身の演出に活かす女性はしたたかですなぁ。こんな駄文書いてるヒマがあったら見習えってか? ごもっとも。



1 それぞれ「ロシュフォールの恋人たち」はジャック・ドゥミ監督のミュージカル映画、「アイ・ショット・アンディ・ウォーホル」はウォーホル狙撃事件を題材にした文字どおりの映画、yes mama, OK?は美大の卒業生を中心とした知能犯的な打ち込みポップス・ユニット、スモール・フェイセズはモッズ・バンドの真打ち、ビョークは現代ポップスの開拓者でありカリスマ、バート・バカラックは高度な音楽性を素晴らしいメロディーに結実させるポップ・ミュージックの巨匠。
2 広告ビラのこと。
3 フランスの両切り煙草で、セルジュ・ゲンズブールが死ぬまで愛した。
4 ヌーヴェル・ヴァーグはフランスで起こった映画革命で、ゴダールやトリュフォーを輩出。ニュー・ヨーク・アンダーグラウンドはアンディ・ウォーホルやヴェルヴェット・アンダーグラウンドを産み落とした。
5 どれももう九八年半ばの今では昔話になってしまった。江角マキコは「行きすぎ」と非難され、吉川ひなのは件のイザムとの交際で別の世界の人になってしまった。時間の流れるのは年々、めくるめく速さになっている。
6 古くは森高千里が「非実力派宣言」といったのも、最近では田中真喜子が選挙戦を「凡人・軍人・変人の戦いですよ」と揶揄したのも、女性ならではの計算があってのこと。これ、男が言ったらただのマヌケですよ。


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