thai

オンバーク
 香港カンフー映画以来、アクションはあまり好きではないジャンルだった。理由はプロレス同様、「死闘」が白々しいから、その一言に尽きる。当然、映画はリアリティーだけが勝負じゃないのだから、どんなにハチャメチャでも面白ければ成立するのだが、肉体の妙技を味わうということなら、K-1や総合格闘技を堪能するその同じ目ではやはり見ることができないのだ。
 プラチャヤー・ピンケーオ監督+ジャー・パノム(トニー・ジャーと改名)主演の組み合わせでは次作「トム・ヤム・クーン」の方が、より映画としての作りの明確さや、アクションの熟練ぶり、そして長尺ノー・カットの白熱したアクションが見られるなど、見どころは多い。だが、初作となる「オンバーク」では、ジャー・パノム演じる主人公の「垢抜けない、木訥で人情味のいかにも厚そうな雰囲気がひじょうによく写し撮られていて、バンコクでは見かけることの少なくなってきたものを感じられるところにポイントがあった。これと同じく、オーストラリアをメインの舞台とした華やかな「トム・ヤム・クーン」に比べて、色合いのくすんだ「オンバーク」は、見ていて疲れない。
 盗まれた村の仏像の頭を取り返すストーリーはいたって単純で、映画が始まってすぐに盗みが起こり、ラストはかなりあっけなく終わる。つまり、とにもかくにもアクション映画なのだが、スポーツ化する前の古ムエタイが見られることと、そのアクションが流麗で自然なところにポイントがあった。このCG処理全盛時代に、実写にこだわったアクションの迫力が再認識されたのは、クランク・アップまでの時間制約とのにらめっこからわりあい自由なタイならではの功績。ブルース・リーとジャッキー・チェンで時間が止まったままだったアジアン・アクション界に新風が吹き込まれたことに素直な賞賛の言葉を贈りたい。
 また、ラスト・シーンはジャー・パノムが頭を丸めて出家するシーンで、タイの田舎の香りの中で締めくくられるところに、なぜか気持ちがほっとする。結局、僕は囲炉裏のある部屋に提灯を飾っているような日本フリークの外国人と同じような趣味の人間なのだ。


ラスト・ライフ・イン・ザ・ユニヴァース  
 この映画には大きな期待がかけられていた。「モンラック・トランジスター」の大反響も冷め遣らぬペン・エーク監督が恋愛映画を手がけるというだけでも話題性は十分にあった。興行前のキャンペーンだって大々的で、MBKにはそのために、セーラー服を着てソファに寝たまま動かない女性や柱にもたれたまま同じく動かない黒子風の男などが6〜7人ほどもいた。そして、日本人にとっては何より、浅野忠信が主役出演するという、注目せずにはおれない作品だった。しかし、タイでは興行成績的には大失敗。なぜだったのか、それはタイ人気質を知っている人なら、この映画が始まって10分経った時点で判るはずだ。
 「ラスト・ライフ・イン・ザ・ユニヴァース」は、ストーリー展開そのものにはさしたる重要性はない。自殺願望を持った潔癖症の男が、タイでの生活の中で虚無的といっていい毎日を送っている。彼は自分を狙おうとした、友人でもあるやくざ二人を殺してしまい、自身の部屋に隠した。そして、妹を自分の責任で死なせてしまった、家の片付けがさっぱりできない女と知り合う。「死体が臭って家に帰れない」という男と、「広い家にさびしく一人きりになってしまった女」。男はあてもなく、意味もなく女の部屋で居候する。と、途中までのストーリーを書けばこんな具合だ。涙を流すような悲劇もなければ思わず吹き出してしまう冗談も出てこない。
 そして、男と女がソファで居眠りしてしまったシーンでは、女はいつの間にか死んだはずの妹と突然入れ替わってしまっているし、時間的・空間的に絶対つながらないはずのシーンが連続していたりする。観念的な映画であるがゆえに、映像が美しい。そう、ミケランジェロ・アントニオーニやセルジュ・ゲンズブール作品と同じく、この映画は連続する映像美を幻想的に描いた作品、という手触りなのだ。映画に笑いや涙やスリルを求めてやってくる一般のタイ人観客にはそりゃあ受けないだろう。
 僕もこの映画をタイ人の友達と一緒に見に行った。途中、珍しくフィルムのアクシデントがあって10分ほど中断したりした。それで席を立ってしまう観客もけっこういたが、辛抱強く待った友達は最後まで見終えて、「けっきょく、この映画、わかった?」と訊いた。「いや、わかんなかったね。…主役の男優はかっこよかった?」と、その程度のことしか、僕には言えなかった。
 


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