-アジア関連-

南国(タイ)の野菜たち 青澤直子  まるごとタイランド(2010)
 家で食事を作るようになってから、楽しみが増えた。これまでほとんど「庶民生活を眺める場」というくらいの意識でしかなかった市場が宝箱のようにキラキラし始めた。服飾にせよCDにせよPCグッズにせよ、とにかく判で押したようという言葉を地でいくタイのこと。なかなか自分なりの楽しみをヴァラエティーの中に発見することは簡単ではないのだ。そこに登場したのが食材の二文字。こちらは市場やスーパーごとに特徴がうんと違うほか、遠出のときにも、足を運んだ場所が海の近くであれば目にしたことのない海産物が、山に近ければ山菜が目に飛び込んできて、地域性も充分。買ってきたものをうまく調理できたときの喜びは、生きる喜びでもある。アジアに関する書籍で有名な前川健一が料理を手掛ける人間であったのは、決してたまたまではない。
 さて、そんな僕が最も手を焼いているのが、野菜。きのこ類は何となく調理法についても味についても想像がつくのだが、その他のものはお手上げも多かった。こういう種類の本を探してみたが、使えそうなものは日本帰省の短期間には取り寄せできず、かといってこちらの書店で取り寄せるのは高価につく。しかも、内容が東南アジア全域に渡っているようで、タイでの名称を調べるのも手間がかかりそうだったし、料理法などより学術的な調査に重きがあるようでもあった。手をこまねいているうちに出版の知らせが飛び込んできたのがこの本だった。
 「南国(タイ)の野菜たち」は野菜ソムリエの肩書を持つ青澤さんの執筆によるので、和洋取り混ぜたレシピが紹介され、しかもそのほとんどが僕でも即活用できるような調理法である。形の時点ですでに尻込みしていたトカドヘチマの味噌漬けをひと口味わったときには、思わず唸った。しかも、それぞれの野菜の説明文にしても味や流通・分布・栄養分と効能などについての記述が中心で、この上なく実用的である。市場の紹介も楽しく読ませていただいた。
 この本はこののち数年、僕の愛読書になることは間違いなさそうだ。

 残念ながらタイ在住の日本人は、「野菜がおいしくない」「何を食べたらいいかわからない」と言います。日本とは違ったなじみのない野菜になかなか手がでないのもわかりますが、南国の野菜には、本当においしいもの、とてつもないパワーを秘めたものがたくさんあります。ただ、使い方をタイ人にたずねると、タイ料理しか教えてくれません。日本人が楽しむためには、もっと幅広い使い方を知りたいところです。健幸料理研究所(※)では、そんなタイの食材を中心により多くの人が楽しめるレシピを考えてきました。

※ 「健幸料理研究所」とは、身近なタイの食材での豊かな食生活と料理を考えるため、2007年に著者が設立した団体



バンコク悦楽読本 別冊宝島WT  宝島社(1995)
 タイについての本は90年代後半以降、急激に増えているのは海外旅行新参者の僕にだって判った。単なる旅行ガイドではなくサブカルチャーや街づかいのスポット紹介などに足を踏み入れつつ、現地のイキのいいネタを拾ってくるようなものが月々、棚に新刊書として並べられていた。そんなタイ本の洪水の中にあっても、宝島社の2冊は出色の出来だった。
 「バンコク悦楽読本」の前に同社は「別冊宝島WTタイ読本絶対保存版!」を出版しており、この2冊が後の「ただの観光案内ではないアジア本」の雛型を作ったといっても過言ではなかろう。「タイ読本」のほうは92年の出版で、下に挙げた「ハイサイ沖縄読本」が93年だから、このニュー・ツーリズム指南はおおよそそのあたりで形を整えたことになろう。
 今の目で見れば流石に「タイ読本」のほうは手垢がつきすぎてしまった情報が多いが、「バンコク悦楽読本」はまず執筆陣が現在もタイに関する日本メディアの第一線で活躍する皆さんがそれぞれの受け持ちを原稿にされており、この点だけでも深みが違う。とりわけ興奮して読んだのは村松伸氏のバンコク都市考で、悪名高いバンコクの渋滞の向こうに「東洋のベニス」と謳われた運河=水系社会をいまだに引きずる国民性を嗅ぎ取り、街づくりや国家にそれがどういう影響を与えているのかという論説が極めてシャープでユニークだ。
 バンコクという膨れ上がった都市に様々な角度から、ガイド書というには深くメスを入れようとする本書は、今でも輝きを失っていない。

 権力の集中、人口の集中、土木建設によってすべてを根こそぎ変えようとする野心、滅私奉公の人生観……、これらすべてが現在の日本では否定されつつある。バンコクという都市がもっているものは、交通渋滞を除くならば、むしろ日本が現在を乗り越えたあとに志向する理想世界に似ている。


ハイサイ沖縄読本 篠原章&宝島編集部  JICC出版局(1993)
 この一冊が、おそらく僕の出発点だった。
 沖縄は、高校生のころから非常に強く惹かれる土地だったし、サラリーマンをやっていたときには出張が沖縄になるとひそかに小躍りしていたというのはあった。だが、ふとあるとき牧志の市場通りの中ほどにある小さな書店(といっても、その店舗の半分以上は果物や野菜が置いてあったように記憶している)に「ハイサイ沖縄読本」はあった。パラパラとページを捲って求めたのは本当にラッキーだったと思う。なにせ、この本はもうその当時には廃刊になっていて、他のどの町に出張に行ったときにももうその姿を見なかったからだ。そして、僕はたちまちこの本のとりこになってしまう。
 「ハイサイ沖縄読本」は、観光ガイドでありながら「名所旧跡がパッケージされたお仕着せの観光や、マリン・リゾートという言葉で飾られた旅行商品とは明らかに異なる」(本文より)、ミュージック・シーンなど独自の芸能やディスコ事情、市場の探索や食文化など、沖縄に息づくポップ・カルチャーを取り上げて「街」そのものを見るための指南書となっている。そして、さらにはそうした「観光編」に続く第2章が「移住編」となっていることに興奮した。
 そうして僕はその後、「人と街」をテーマにしたフリーペーパーやらHPを立ち上げ、「移住編」のまさしく渦中へと入って行くこととなった。

 沖縄病という病気がある。沖縄を訪れ、そこに蔓延する正体不明のウイルスに感染して、本土に帰っても「あぁ、沖縄、あぁOKINAWAか琉球か」と呟く日々が続く難病である。要するに頭の中が沖縄のことで一杯になってしまうのだ。柳田国男などの民俗学者を始め、島尾敏雄に代表される多数の作家たち、そして有名無名の画家、カメラマン、音楽家、ダイバーなど罹病者は数え切れない。幸いにして(?)「埼玉病」とか「名古屋病」という病気はない。「北海道病」というのは聞くが、これは治癒率が高い。ところが、沖縄病は治らない。あらゆる知恵を結集しても、これまで治癒法は見つからなかった。が、本書の出版を契機についにそれも過去の話となる!
 で、重大発表。なんと数千年、数万年の歴史を重ねても人類が発見できなかった沖縄病の治療法を発見したのである。フッ、フッ。ではその治療法を発表しよう。
 
沖縄に移住すればよいのだ。


記者がみたカンボジア現代史25年  山田寛  日中出版(1998)
 大虐殺で悪名高いクメール・ルージュ(ポル・ポト派)をはじめ、カンボジアはフランスからの独立後も幾多の苦難の道を歩みつづけた。政治的暴風雨が吹き荒れるということは、それだけメディアが注視してきた国であるということでもある。
 この書は右掲のとおり、題名中の「カンボジア現代史25年」という部分がやたらと目立つ作りに成っているが、国内情勢や対外情勢を含めた俯瞰的なカンボジア現代史ということでは他書を当たった方がよいだろう。山田氏の著作が活き活きとしているのは題名ロゴでは小さくなってしまっている「記者がみた」という部分が徹底されているからである。クメール・ルージュ解放区入りのスクープからフン・センの人民党が独裁体制を強める98年までを彼は自分で見聞きし、あるいは調べ、考えたことをまとめ上げた。日本の一記者のカンボジアに対する熱い視線というものをルポルタージュとしてもノン・フィクションとしても楽しめる。
 ただ、ここでの記述を深く味わうにはカンボジアの近代史を簡単にでも知っておいたほうがいい。巻末にカンボジア年表はついているが、ややこしい政治的変遷状況を立体的に捉えるには編年体の箇条書き的記述ではなく、ある程度側面的なことにも触れたようなものに目を通しておきたい。
 「新聞」という、客観的事実に束縛された媒体を離れたところで、筆者がカンボジア・ウォッチをどういう眼で見てきたのか、どういう思いを持っていたのか、読み返すたびにハッとさせられる。

 80年代に日本のインドシナ難民問題をフォローしていて悲しい気持ちになったのは、インドシナ難民の子供たちに対するいじめが多いことだった。
 難民救援のNGO「難民を助ける会」は、このころ年平均二十五件もそうしたいじめについての訴えを受け取っていた。持ってくる弁当が日本の通常の食べ物と違うからといって取り上げられ、蓋を開かれ、教室中回覧された中学生。「お前が汚いから教室がよごれた」と難癖をつけられ、教室中の床に水をまいて、拭くように強要された中学生。小舟で脱出する前、国に残るおばあちゃんからお別れにつけてもらったリボンを取られてしまったり、「天然パーマ」とからかわれ、はさみで髪をちょん切られてしまった少女たち。
 「一番ショックだったのは……」、あるカンボジア人中学生が訴えた。「黒板に大きく『カンボジアに帰れ』と書かれた。休み時間が終わり、先生が来た。でも先生が黒板の字を消そうとせず、平然と数学の授業をはじめたことでした」。ベトナム人は気が強くて反撃もするから、比較的いじめにあわない。カンボジア人はおとなしいから、ずっといじめにあう率が高いようだった。


◆「ナンスー」表紙へ戻る◆  ◆トップ・ページへ戻る◆









SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送