ウィリー・コローン
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;"Guisando"所収



ティト・プエンテ
"A Gozar Timbero"(楽しめ、ティンバレス弾き)
;「ベスト・オブ・ティト・プエンテ」所収

 ティトの代表作は他にいくらでもあるが、彼はティンバレス奏者である。この曲は、マンボやソン・モントゥーノ、サルサなどでよく聴かれる男くさいコーラスと高くてよく通る歌声のヴォーカルの掛け合いが小気味のよいリズムに乗って、ホーンに囃し立てられて絡み合いながら、後奏のティトのティンバレス・ソロへと縺れこむ。威勢よくコーラスから紹介を受ける彼は、はちきれたように爆発している。ここにはバンド・マスターとしての彼はもういない。コーラスが二度目の紹介コーラスをすぐさま反復するが、そんなのもうお構いなし。ひたすらかっこよく太鼓の革をラストまで打ちつづける。
 ティンバレスは反射的に情熱を感じさせる音色を持つ。僕はこの楽器が大好きだ。特徴のある楽器だから、最初から最後までどの曲にでも鳴り続けたりしてしまうと押し付けがましくなってしまうのだが、ここぞというときに打ち鳴らされる瞬間に、その奏者のセンスが問われる。そのティンバレスを狂ったように叩きまくるバンド・マスター。僕にもささやかながらバンド・リーダーの経験があるだけに、よくわかる。ミキシング・バランスやアレンジやタイム感覚やそれとない指示や、もうそんなアンサンブル音楽ではなく、バーンと一発やってしまいたいときが、人間にはあるのだ。



マイーザ
"Quem Quiser Encontrar O Amor"(愛を見つけたい人は)
;「パラ・シェンプレ」所収

 マイーザの事を書くときには、たとえそれが1曲の歌についてであったとしても、彼女の生い立ちから書かなければなるまい。
 彼女は18歳のときに最初の大きな人生の転換期を迎える。結婚をすれば誰だってそれまでの人生とは違う一歩を踏むのだが、彼女の新郎はブラジル、というよりは世界有数の大富豪マタラッゾ家の跡取り。子供の頃からピアノを習い作曲も趣味にしていた彼女は、パーティーなどで自作を披露したりしていたようだが、そんな中で彼女の歌声を聞いたプロデューサーがマイーザに録音を奨め、これがヒットを生んでしまう。さらにはクラブへの出演やテレビのレギュラー番組確保など、急速に芸能生活と関わりを持ち出した新妻に対し、そうした行動を許さないマタラッゾ家との対立、そして22歳での離婚。あとは転がるようだった。酒浸りの日々、黒人としか寝ないという噂、急速で不健康な肥満、そしてブラジルの誇る美しい歌声も痛々しいものへと変わっていった。それでも歌だけは歌いつづけた。が、40歳の冬、交通事故によってあっけなくその短い生涯を閉じた。
 もともとマイーザはハスキー・ヴォイスなので、若い頃の瑞々しい歌声でさえ重く引きずるような情感がある。ストリングスの調べに乗ってゆったりとしたテンポのサンバを歌っていた頃に評価は集中すると思うが、僕が好きなのは少し時期としては後になると思われる頃の「ケム・ケイザー・エンコントラ・ア・ムール」だ。声にはいっそう悲嘆の影が増し、もうすでに少し荒れかけているようにも思える。だが、クールなボサ・ノヴァのバッキングのおかげで彼女もウェットになり過ぎずに、曲は淡々と流れてゆく。いつも、水の影を眺めるような面持ちで、僕はこの曲を聴く。そして、言葉をなくす。


※ ポルトガル語フォントを使用しないと表記できない文字は英語・アルファベット表記とさせていただきました。どうぞご了承くださいませ。



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