ウェイラーズ
「ゲット・アップ,スタンド・アップ」;「バーニン」所収

 情報が音との最初の出会いに先行してしまうことの多い日本では、ウェイラーズの怒れる若者の代名詞的側面やルード・ボーイとしての気概を残した曲、またはジャマイカの社会的不条理に対する代表的プロテスト・ソングとしてこの曲は名を馳せすぎていた。重箱の隅をつついて隠れた名曲や時代の気分を反映したトラックをピック・アップすることにもまた誇りを賭けるのも日本人の性。彼らには米国のアイランドから世界メジャー・デヴューを果たすまでに、レスリー・コングやコクスン・ドッドらの下でのジャマイカン・ドメスティック・ミュージシャンの時代があり、その頃の音源も多い。「エクソダス」や「レディンプション・ソング」など新生面のはっきりと打ち出された曲ならともかく、いきおい「ゲット・アップ・スタンド・アップ」を取り上げるのはなんだか恥ずかしいことにさえ感じられてしまう。
 しかし、そうした日本人的姿勢が徒になることはしばしばあろう。いい曲はいいのだ。それを素直に語ることができないなんてどうかしている。ほら、レゲエはいつだってそういうシンプルなことを繰り返し言いつづけてきたじゃないか。
 だからたぶん、この曲は一億総中産階級の日本ではなく、貧富の差が激しい地域で聴いたほうがストレートに響く。「ゲット・アップ、スタンド・アップ」、それは飾りじゃないし、上っ面のお為ごかしではない。ホットなのにクールでスタイリッシュに聞こえるけれど、それだって取って付けたような趣味的なものじゃあないんだ。「さあ、立ち上がれ!」と言われても何に立ち向かうのかさえさっぱり解らない日本。せめて彼らの噴く火を熱いと肌で感じてほしい。僕は、日本に蔓延するそうした無自覚に対して立ち上がる。



ジミー・クリフ
「メニー・リヴァー・トゥー・クロス」;「」所収



ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ
「ウェイティング・イン・ヴェイン」;「エクソダス」所収
 くぐもったエレキ・オルガンのイントロから、もうやられた。ボブ・マーリーの悲しげな声があてもなく虚ろに部屋を歩き回り、行き場のない孤独がたゆとう。間奏のリー・リトナーによる透明度が高いリード・ギターも切なさを煽り、我知らずため息が出てしまう。甘いバラード。言ってしまえばそれまでだ。けれど、この憂いの深さはどうだろう。そして、その深さを押し売りしない、レゲエの乾いた風はいかがなものか。
 ラスタの神じゃなくていい。人間としてのボブ・マーリーが好きだ。


◆「プレーン」表紙へ戻る◆









SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送