沢田研二

 小学2年のとき、何を思ったのか母が僕のために黒革の半ズボンを買ってきた。翌日それを履いて学校に行くと、クラスメイトの10人くらいが「ジュリー! ジュリー!」と冷やかしに追いかけてきた。朝、家を出るときには派手な半ズボンを恥ずかしがっていた僕はにわかにどこか得意げになっていた。

 小学生用コミックス巻頭グラビアでは少し遅れて「ヤング・マン」で人気をかっさらった西条秀樹との間で「ジュリーVSヒデキ」調の特集がよく組まれた。どちらもオーヴァー・アクションなステージで子供にヴィジュアル刺激を与えるには格好の歌手だったが、西条秀樹を好きでいる子供たちが歌謡番組などでたまたま彼のことを見たり歌を聴いて「いいな」と思ったレヴェルでとどまっているのに対し、沢田研二は小学生であった僕らを「魅了」という言葉に近い世界へ引き寄せていた。それは当時の生活からは最も遠い酒や女の世界への扉の隙間を垣間見る快感であり、ふしだらでわがままでいいかげんな男がタイトにかっこよく生きてゆく手本だった。

 キャロルを聴くにはまだ若すぎた僕はリーゼントに込められたメッセージが判然としないまま横浜銀蝿の登場を見たので、正直なところ、当時「ツッパリ」と言われた一群をひどくかっこ悪いと思った。その横浜銀蝿が「男の勲章」というヒット曲で「ツッパることが男のたった一つの勲章だって、この胸に信じて生きていく」と高らかに宣言したことが証明したように、「ツッパリ」のスタンディング・ポジションはすでに旧態依然としていたスポ根マンガの主人公とさして違いはなかったのだ。ホンモノの「不良」はもっとしなやかでタイトでクールで艶かしく、物事にいちいち真剣にはならず、いろんなものに唾でも吐きかける程度に世の中を斜めに見て欠伸しているはずだった。

 「しゃべりが過ぎる女の口をさめたキスでふさぎながら背中のジッパーつまんでおろす、他に何もすることはない」(カサブランカ・ダンディ)。彼はこんな歌を繰り出しながら含んだ口に含んだウイスキーをブーッと霧状に吹き出して見せた。僕らはそれを真似て水道の水を頬にため込んで友達に浴びせかけたりしていた。子供の感性というのもたいがい不埒である。


my best song 勝手にしやがれ
my best album 
my best lyrick カサブランカ・ダンディー
my best music 危険な二人
my best arrange TOKIO


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