おニャン子クラブ


 モーニング娘。との類似性をよく指摘されるし、実際プロデューサーのつんくは2000年代のおニャン子を作ろうとしたのかもしれないが、おニャン子がおニャン子である必然性は、「クラスにいると楽しいだろうなという女子」だったと思う。とんねるずのカラミは当時からホステスを前にしたおっさんみたいなノリだったから、この「クラスの女子」の反応は若い世代には新鮮に映ったのだろうし、徹底して何もかもに素人である彼女らだからこそ、そのネーミングが「おニャン子」(セックスを意味する当時の隠語)であることが衝撃的だった。公開オーディション選外からの復活戦で人気を獲得してゆくという、芸能界のサクセス・ストーリーを体現したモー娘。とは、全く土台が違うのだ。

 河合その子、新田恵利、国生さゆりと三たてでソロ・デビューを果たしたときのおニャン子クラブは、西武パルコやわたせせいぞうや鈴木英人やプール・バーや、そういった80年代のエッセンスと共通した強い輝きを発していた。ただ、「身近にいる女の子」感覚を楽しんでいる視聴者のニーズは、すでに実際の自身の生活に目が向いているという証拠でもあった。おニャン子はそういう意味で、歌謡曲といわれ日本のポピュラーミュージックの伝統として存在した正統派アイドルの電灯を終焉させる最後のお祭りだったのかもしれない。若者の舞台は自分たちの街に移り、実際の自分を生きるようになった。

 おニャン子きっての清純派、高井麻巳子がおニャン子バブル作詞家秋元康と結婚発表後、何の会見もコメントもなくニュー・ヨークの新居に移ったことは皮肉にも、アイドルは偶像でしかないという単純な事実を決定的な烙印に変えた。その秋元は「プロデューサーだったらメンバーをめとれ!」とつんくに冗談を言ったらしいが、もはや偶像という怪物は、モー娘。メンバーとの結婚でけりがつかないくらいに巨大な産業となって、雪だるまのごとく増殖しながら坂を転がり続けている。



※ この後、ご存知のとおり、秋元康はAKB48をプロデュースし、モーニング娘。を過去のものとする国民的アイドル・ユニットに育て上げた。その商売はずいぶんみっともないものとなり、CD販売力の落ちたこのご時勢に「CDを○枚買うと握手券をゲットできる」というタニマチ方式で売りさばき、不要となったCDが販売直後から中古ショップに並ぶという光景を現出させた。

 音楽業界人というよりマーケティング戦略家である秋元康は、同じく自身の見てくれにはなりふり構わず実利を選ぶオタクに目をつけて、秋葉原で「会いに行けるアイドル」というキャッチフレーズにてAKB48を売り出した。その目のつけどころが鋭かったことは認めるにしても、ああいう無責任な形で「素人集団ユニット」おニャン子を我が物にしてポイ捨てした男が再び席巻し、横槍を入れさせない大物化させている芸能界には呆れるばかりだ。AKB48やその関連ユニットのメンバーに擬似恋愛したり憧れを持ったりする10代はよいにしても、彼の過去の悪行を知っている知識人までもが持て囃す罪も相当に大きい。

 同時に、オタクが不況の中で経済を動かす大動脈になっている現在、彼ら・彼女らが「会いに行けるアイドル」を支持したリアリストであるという事実を忘れてはいけない。基本的に2次元世界を好むオタクという妄想家がリアリズムを担っているという日本のパラドックスは、この経済怪物に飲み込まれた現代を鮮やかに切り取っているはずだから。



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