わらべ


 ビートたけしやタモリが一種の天才お笑い芸人であったということを、おそらく今の子供たちは知らない。たけしが映画監督として絶賛されていることに尊敬の眼差しを向けることはあるだろうが、芸能番組に露出している彼らを見かける折にはその多くが芸能界定番的な司会者のポジションを担っている。そして、僕らより一世代前の人々が僕らに対してこういったジェネレーション・ギャップを感じるだろう分水嶺が、欽ちゃんこと萩本欽一に対する印象になるのだろうと思う。

 欽ちゃんは僕にとって、ほのぼのしたお笑い番組を率いる座長のようなものだった。物心ついた頃からテレビ画面の中心に映って、安定したおかしみを僕らに伝えてくれる、ベテラン芸人の仲間だった。噂に聞く、コント55号でのすっとぼけまくった科白をマシンガンのように連射する天才芸人=萩本欽一の姿を、僕らはいまだにうまく想像できない。

 「欽ドン」は、僕らが親兄弟、家族みんなで一緒になって安心して見ていられた最後のお笑い番組だった。これは、日本テレビお得意の家族ドラマがブラウン管の存在感をなくし、現在へと続くトレンディー・ドラマが急速に地位を確立してゆく時期と符合する。「めだかの兄弟」「もしも明日が」を今日再び耳にしてひしと感じるのは、もうこのようなフィーリングを歌やお笑い番組から感じる機会のなかった世代が、この今の日本を覆い包もうとしている事実だ。子供が聴く歌に大人も夢を感じることができた時代…。失われたものがどれだけ大切かを肌で感じたからこそ、僕はタイに住もうと決意したのではなかったか。「もしも、明日が…」と何かを明日に信じようとするために。

 「めだかの兄弟」時代のわらべの中心的存在だった高部知子を僕は大好きだったが、彼女は不純異性交遊とやらで芸能界をつまみ出された。そのスキャンダルはまたしても、アットホームな表層の裏側にある動かしがたい「明日なき世界」の侵食を僕らに教唆したのだった。



my best song もしも明日が
my best album 
my best lyrick もしも明日が
my best music もしも明日が
my best arrange




◆「プレーン・ジャパン」に戻る









SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送