ギターも歌も華やかなフラメンコに比べると、ポルトガルのファドは塩っ辛く土臭い。それが西日の落ちる大西洋に面した長い長い海岸線をもつこの国には、よく似合っていると思う。いつか、そう遠くないうちに、バイロ・アルト地区に多くあるというワイン倉みたいなファド・ハウスで太っちょの女性シンガーが絞り出すように歌うファドの悲しい旋律を聞いてみたい。


マドレデウス
"A Tempestade"(嵐)
;"O Paraiso"所収

 以前フリー・ペーパーの共同編集者だったU君がマドレデウスの来日公演に行った。ヴォーカルのテレーザの声を聞くと、彼は「声が実際に塊になって口から出てきているのが、そこに見える感じがするんだ」と驚きをあらわにしていた。
 テレーザの歌声を「天使の声」と評する人は多いと思う。僕もまったく同感なのだが、同じく天女のように喩えられる歌い手に王菲(フェイ・ウォン)がいる。しかし、王菲の歌があるときには少女のようで、あるときにはあくどいまでに女であったりと変化自在に女性という俗を行き来するのに対し、テレーザのそれは石造りの街並みであったり帆を張った船であったり、または海岸を渡る風であったり咲き誇る花の群れであったり、あくまで僕に風景を喚起させる。彼女は語り部であり、物語の伝承者である。そしてその風景がどれもやたらと西洋を強く匂わせる。目を閉じて彼女の歌に聞き入っていると、知らない間に坂の多い町を巡り、乾いた石畳の道を抜けて、大西洋が広がる西日の浜辺に出てきたりすることとなる。
 淡い匂いを運んでくるギター・アンサンブルの前にすっくと立ち、テレーザは時間と空間を物語る。彼女はたぶん、自身のために歌を歌っているのではもはやないと思う。歌がある限り、彼女は風を感じるように、海に漂うように、ただ歌うのだと思う。
 「ア・テンペステイド」で、彼女は歌う。「わたしは見に行った。わたしは見に行った。嵐を。そして走って帰ってきた」。


※ ポルトガル語フォントを使用しないと表記できない文字は英語・アルファベット表記とさせていただきました。どうぞご了承くださいませ。



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