ディック・リー
「リトル・ホワイト・ボート」;「マッド・チャイナマン」所収

 シンガポールはワールド・ミュージック・ブームの風穴だといわれていた。もともとマレー半島に民族音楽がさほど発達してこなかったうえ、華人が多かったためマレーシアから独立しリー・クアン・ユーのもと「実験国家」「公園国家」としてNIES国としての目覚しい発展を遂げた。中華系、マレー系、インド系を主とした民族構成を抱えるこの国では第一国語を英語と定め、狭い島国の中で住居としてフラットを故意に民俗混成で割り当てている。そうした試みは成果をあげているものの、音楽というものはそういう管理社会からは生まれてこない。もっと不条理なところから自然発生のように燻って発火するものだろう。
 ディック・リーは華人としての血を引きながら中国への意識も遠く、中国語もうまくは話せず、自身のアイデンティティーにもがくおのれを「マッド・チャイナマン」と称してアルバムを発表。90年初頭、ワールド・ミュージック愛好家の間で大きな話題をさらった。その意識のあり方が、逆転的にワールド・ミュージックの新たな可能性を切り開いたかのように受け取られた。国家としての混沌ではなく、安定したクリーンな国の中で不条理に悩む自分の内側からの発火。日本人のようにルーツ意識が根元に薄い民族からすれば、この思いを彼に重ね合わせることも容易だったのだろうと思う。
 でも、つまるところ彼はマッドではなく、ポライト・チャイナマンだった。当時のミュージック・シーンを彼なりに意識した曲の上に中華色や、ときにはマレーの色合いも加味したアレンジは、ものの見事に風化してしまった。彼が生真面目すぎたせいだと僕は考える。生きた音、レアな音というのは「自分は何者か?」と自問する机上には生まれないものらしい。
 このアルバムで唯一僕が好きだったのは、ほぼ古典的中国風アレンジに徹した「リトル・ホワイト・ボート」。ここにはただ美しい桃源郷のような理想の中国への憧憬だけが描かれていて、余計なアレンジが施されていないし、彼のあまりに直截な自分探しの声も聞こえてこない。ここでの彼こそが、映画を見てその世界に思いを馳せるようなシンガポール華人としてのリアリティーを伝えてくれるような気がしていた。
 時代は残酷に彼を置いて駆け抜けていったが、僕の中で、今でも彼は白い小船で湖面をゆったりと漂っている。


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