ポップ音楽の消費サイクルというのは、もうどうしようもなく加速されてしまっている。スウェーディッシュ・ポップスはその悲劇を背負って登場してきた。
 英語圏の音楽を「洋楽」として崇めてきた歴史のある日本では、90年代にはもう自国の先を行くロック/ポップ音楽の先達は存在しなくなっていた。そんなときに登場した当時のジャパニーズ・ポップ・シーンを大雑把に気分でくくった合言葉、「渋谷系」にスウェーディッシュ・ポップはぴったりだった。キュートでキッチュながらも捻りの効いた曲想、ファッショナブルなアレンジメント、愛くるしくも多面的な表現力のあるヴォーカル、ヴィンテージ機材を揃えて懐かしいバンド・サウンドを復活させながらも現代的に表現できるトーレ・ヨハンセンというスタジオ・マスター。
 でも、スゥエーディッシュ・ポップに対する日本の姿勢はあくまで青田買いであった。たぶん日本の現場の人間は誰もが、この先に彼ら・彼女らが潰れてしまうだろうなとは気づいていただろうと思う。過密なツアー・スケジュールを縫ってのレコーディングは、機が熟す前だった多くのスゥエーデン・バンドにとってはないところからアイディアをひねり出すドン・キホーテ的作業であったろう。そうして、見えていた祭りの終焉と同じ頃、渋谷系騒ぎにも皆疲れて失速が始まっていた。2000年はそういう地平を通り過ぎたところから始まった。


カーディガンズ
「ラヴフール」;「ファースト・バンド・オン・ザ・ムーン」所収

 「ラヴフール」を一聴した感想は、あ、普通のポップス・ヒットじゃないか、だった。すでに危機感はあった。あまりにも急激なもてはやされぶりにカーディガンズ自身が追いついていないのではないかという読みだ。ファースト・アルバムの「エマーデイル」はブレイクしたセカンドの「ライフ」よりはずっと地味で沈着した音だったが、確実によく練ってバンドの曲想を煮詰めたアルバムだった。2枚のアルバムを聴いて解ったのは、このバンドが時間をかけて熟成させなければ自分らしいアルバム・曲を書いてゆけないだろうということだった。
 「ラヴフール」だけではない。「ファースト・バンド・オン・ザ・ムーン」全体が新味に欠けるアルバムだった。たしかにお家芸のいい加減に屈折したポップス集だったし、1曲目「ユア・ニュー・ククー」のリミッターでラジオ・ヴォイスのように中域に絞ったスカスカな音からブランクをはさまずにハードめで分厚い音の2曲目「ビーン・イット」に繋がる展開からこのバンド特有の曲の楽しがり方が溢れたCDだということは聴いて取れた。が、どれも練り方が浅いのだ。メンバー誰もがサーヴィス精神旺盛でへんにスター気取りではないこのバンドは、ファンへの期待を裏切らないようにいろんなスケジュールに時間を取られすぎていただろう。
 たまたま台北のの西門町にあるCD店でもらったフリー・チケットで新しくオープンしたディスコを覗いてみると、当時隆盛を極めていたタイタニックのテーマがここでもかかり、欧米人客はやんやのハッスルぶりでステージにまで上って船のセットの舳先を壊し、ひそかにアジア人の我々の顰蹙を買っていた。そんな中、DJは聞き覚えのある曲を流し始めた。「ラヴフール」だった。その曲ではあまり誰も踊ってはいなかったが、気持ちのよい溌剌とした、ステップを軽くさせるようなグルーヴがあった。ほとんどの西洋人ははそんなバンドのことをほとんど知らずにあの時代を通り過ぎてしまっただろうが、あの時期にあんなに良心的に音と戯れ、バンドという方法を楽しんで聴衆を楽しませたミュージシャンはいなかった。普通のポップス・ヒットだった「ラヴフール」は、普通だからこそストレートに楽しいパーティー・ソングでありえたことに、そのとき遅まきながら僕は気づいた。僕もまた、カーディガンズにコマーシャル的な刺激を過度に求めようとする音楽の貪欲消費者に成り下がっていたことに、台湾のDJは図らずも警鐘を鳴らしてくれた。



クラウドベリー・ジャム
「エレヴェーター」;「クラウドベリー・ジャム」(日本国内盤)所収

 クラウドベリー・ジャムはあまり入れ込んだバンドではなかった。アルバムがいつも実験作みたいだったからだ。完成度を求めるばかりが音楽ではないが、スタジオで楽しんでいる雰囲気は伝わってきても肝心のメロディーが弱かったように思う。トーレ・ヨハンセンのタンバリン・スタジオでどれだけのことができるかという、そのショー・ケースみたいな雰囲気に見える部分があった。
 ただ、日本ではデビュー・アルバムにボーナス・トラックとして入っていた「エレヴェーター」だけは違った。きらきら輝いていた。それは本当にあの時期のスゥエーディッシュ・ポップが持っていた彗星のようなきらめきだった。軽快に16ビートをたたき出すドラムスに低音高音を駆け巡るベース、真空管アンプの本領発揮の温かみのあるギター、印象的なリフをはさむピアノ、そして硬くて低い声のジェニーのヴォーカルも、サビの透明度の高い女性コーラスと相俟ってムーディーだ。リズム・セクションは90年代的なグルーヴを見せつつ、70〜80年代のオマージュ的なサウンドを聞かせる、まさにクラウドベリー・ジャムとタンバリン・スタジオの最高のセッションだった。今聞いても、その美しさは色褪せていない。



ソフィー・セルマーニ
「」;「ソフィー・セルマーニ」所収



カーディガンズ
「サバス・ブラッディー・サバス」;「エマーデイル」所収

 欧米の白人音楽が90年代から日本のシーンを牽引できなくなったのは、バンド・サウンドの魅力というものが色褪せてしまったからだともいえそうだ。日本人は細かいことをやらせたらピカイチなので、コンピューター・プログラミングが基本となってゆく90年代からは、これまでどうしても力技ではかなわなかった欧米のポップ・シーンを置き去りにしてしまった感がある。
 そんな時期にバンドを率いていた僕は、しばらくの間、参考にするべきバンド・サウンドを見失っていた。そのヒントは、当時の彼女のお気に入りからやってきた。彼女の部屋でへヴィー・ローテーションとなっていたカーディガンズは、少し入り組んだアンサンブルがいかしていて、かわいらしさの中のねじれた感覚・くぐもった毒のあるポップで清潔なたたずまいがあり、まさしく時代の音を出していた。
 ブラック・サバスが好きだというギタリストの趣味を反映した選曲なのだろうが、このカヴァーのアレンジには心底やられた。キュートかつアンニュイなニーナのヴォーカルにマーチングのようなドラム、ちょっとすっとぼけたベース・ライン、キラキラしているがこじんまりとしたキーボード、あくまで乾いたカッティングやアルペジオを聞かせるギター。隙間の多い音作りが、タンバリン・スタジオ特有の郷愁感のある温かさと相まって、柔らかな風のようだ。すると、終盤でテンポがチェンジし、バンドが一丸となって軽やかに疾走してゆく。さらにどんどんとアップ・テンポしながら、フェイド・アウト。冬の空に詩情を見つけたときのように、透明な空気が残される。
 バンド・サウンドとは何か、迷ったとき、僕はきまってこの曲を思い出す。バンドとは、ぶれることなくバンドであろうとする求心力そのものなのだ、きっと。



アバ
「エンジェル・アイズ」;「ヴーレ・ヴー」所収


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