ポール・マッカートニーほど人間臭いというか、矛盾が露呈して、それについて我々がつい思いを巡らせてしまうミュージシャンも珍しい。ずば抜けた天性の才能をもちながら、ジョン・レノンやエルヴィス・コステロのような自我の強い相棒がいないと自制が効かず、なんでポールの作品がこれなんだというような詰めの甘いものを連発してしまう。かつてビートルズ時代にMBE勲章を国に返却して時代のヒーローに飾り物など要らないことをアピールしたのに、90年代には伯爵の称号を取る。無理なサル真似だと気づいているはずなのにジョン&ヨーコになぞらえて愛妻リンダを担ぎ出してくる。リーダーとしての自分を押し出してビートルズを解散から守りたかったのに、自分が解散を認めるとすぐさまプレスにそれを口外し、その1週間後のタイミングを計って用意していたソロを発売する。 しかし、最近気がついたのは、彼の才能と努力のせめぎあいの部分だ。シンガーとしてもベース・プレイヤーとしてもあれだけの素晴らしい才能が開花したのはシングル「ペイパーバック・ライター」やアルバム「ラバー・ソウル」あたりからで、それ以前の彼は自身の才能にまだ無頓着な、若くてはちきれんばかりのロック・ミュージシャンといっていいと思う。作曲に関しては元から光っていたが、やはり「イエスタデイ」まではジョンとの共作が分かち難いもので、ビートルズ内でメンバー個々の自作曲を仕上げてゆく体制は初期にはまだ取れていなかった。ジョンに関しては、自身のプライドとコンプレックスが綯い交ぜになっているのはデビュー当時から一貫しており、そこに表現力と表現欲がミュージシャンとしての成長とともに自然な形で見事な昇華をみせたと汲み取れるが、ポールの場合はあの時期、まさしく地道な努力が花開いたのではないかと思うようになったのだ。つまり、ジョージ・ハリスンがもっと遅ればせながら「アビイ・ロード」の頃にビートルズから学んだものを形にできるようになったのと同じようなものが、ポールにもあったのではないかということだ。 もちろんポールには天性の才能があり、それだからこそあのジョンとのタイム・ラグがほとんどないような成長をみせた。だが、たぶん僕が推察するに、彼は意外と普通の人だったのではないか。あのベース・プレイにしたってヴォーカルにしたって、彼には常に工夫と練習の痕がうかがえたし、作曲面では彼はもっとわかりやすい形でジョンの持っている音像イメージを追いかけた作風を目指したパターンが多い。 そう考えると納得がいく。天才ジョンに見込まれたポール・マッカートニーという男は、芳醇な自身の資質からしてもいささか厄介な役を引き受けてしまったのではないか。曲想や空想世界や言葉や時代をぐいと素手で握って引き寄せてしまうことのできたジョンに、いつでも応えなければいけない立場だった彼自身も、ビートルズの犠牲者だったのではあるまいか。 ポールの作品を、今は気楽に聴くことができるようになった。彼はビートルズの影と闘いながら自分なりの音楽と戯れようとしている。それが少々ぎこちなくても馬鹿げていてもいいじゃないか。彼の長年にわたる唯一の趣味は、人通りの少ない午前4時のロンドンを車で走ることなのだ。 |
1982年と"Tug of War" 1982年に発表されたポール・マッカートニーのアルバム「タッグ・オブ・ウォー」の紹介には、「ソロ後初めてビートルズ色を前面に打ち出した作品」という記載があるのが一般的である。 このアルバムのプロデューサーは、ビートルズ以降初めての依頼となるジョージ・マーティンだし、レコーディング中にジョン・レノンが亡くなってもいる。 また、ジョンの死については、友愛を歌って彼を悼んだ「ヒァ・トゥデイ」がアルバムに収められてもいる一方、この曲がアコースティック・ギターと弦楽4重奏の組み合わせで、「イエスタデイ」と同じ構成を持つことも指摘されている。 ウイングス解散を経て、またソロに戻った彼の次のステップとして、ビートルズを自分なりに消化したアルバムを作ることには大きな意味があっただろう。 僕も長い間、この解釈のうちに「タッグ・オブ・ウォー」を聴いてきたように思う。 2013年、改めて今の耳で聴いてみると、その解釈とは違うものも鼓膜を震わせた。 この時代特有の「あの音」だ。 おしなべて言えば、80年代の音は、スネアにゲート・リバーヴ(ゲート・エコー)をかけてドシンバシンしていて、ベースは地味に、キーボードが色彩を出しているものの、やはり30年後に聴くと音が薄いので、狭い空間を音が埋めているという雰囲気が強い。 でも僕はここで、「あのポールでも時代のふるいがかかると…」という類のことが言いたいのではない。 ポールにとって「あの音」は何であったのかを思い巡らせて見たいのだ。 ソロ2作目の「ラム」も、ウイングスの「バンド・オン・ザ・ラン」前後にも、ポールの才能は花を咲かせてきた。 しかし、ビートルズ時代の彼に触れてきた人々には、それでもまだ物足りなかった。 偶像化されたビートルズというイコンに縛りつけられたファンの思いだったと言っていい部分も多少はあっただろうが、ウイングス時代までのポールには「もっとできるはずなのにそこまで追い込まない」という印象はたしかに強い。 それを払拭したアルバムがこの「タッグ・オブ・ウォー」と次作の「パイプス・オブ・ピース」なのだが、それは原点ビートルズ回帰というだけでなく、82年という時代がポールの音楽性にジャスト・フィットしたことにも関係があるのではないかと、僕はそう感じるようになったのだ。 ビートルズ時代から、彼の楽曲創作にはある種の軽みが存在した。 「イエスタデイ」「ミッシェル」「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホェア」「ラヴリー・リタ」「オブ・ラ・ディ,オブ・ラ・ダ」「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」など、思いつくまま彼のいわゆる「名曲」を紐解くだけで、ジョンのヘヴィーなヴィジョンに対する軽みの調和がビートルズの魅力のひとつであったことを理解していただけるだろう。 もちろん、軽いというのは軽薄だということではなく、重いものにも軽いものにも名曲が存在してそれぞれの意義を持つ。 そして、80年代もまた軽い時代だった。 アメリカでは20〜30代で経済的な潤いを満喫しようとするヤッピー達が闊歩し、バブルに浮かれた日本でも「クリスタル」が流行語となるような、そんな時代だ。 だが、ポールの軽みある曲世界を表現するには、 |
ALBUM |
WINGS Wings Wild Life Red Rose Speedway Band on the Run Venus and Mars Wings at the Speed of Sound Wings Over America London Town Back to the Egg |
my best song Uncle Albert/Admiral Halsey
my best album Ram
my best lyrick Junk
my best music My Love
my best arrange Uncle Albert/Admiral Halsey
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