ブライアン・ウィルソンが僕らに託したもの ブライアン・ウィルソンは、あれだけ有名な人でありながら、ファンなら知っているとおり、非常に「隠れた」人でもある。 とうとう2011年(デビュー50周年!)にビーチ・ボーイズ公式アルバムとして発表された「スマイル」は、長らく幻のアルバムだった。 ブートで音源が出回っていたが、ブライアンが完成させることができなかったというコメントそのものの音源だった。 ただ、その素材から、もし完成していたらどんなものができあがったのだろうと夢想を楽しみながら、ファンは悶々とするしかなかった。 しかし、この時期のブライアンの音楽を愛する多くの人たちにとって、2011年版「スマイル」も、2004年に新録として出されたブライアン・ウィルソンとワンダーミンツたちの「スマイル」も、1967年に「スマイル」に替えて発表した「スマイリー・スマイル」も、すべて「答え」ではないのだ。 ブライアン版は完成度の高い作品で、しかもメンバーのブライアンへの純粋な敬愛が直球で伝わってくる、飛び抜けて素晴らしいアルバムなのは間違いない。 それでも、このアルバムはやはり、1967年に制作が中止された「スマイル」への思いを掻き立てる一つのファクターであるという点では、他のすべての音源と同じ位置にある。 天使の歌声を持った、才気のピークにあったブライアンが「スマイル」を完成させていたら。 そして多くのリスナーがその価値に気づき、圧倒的な支持を受けられたら。 そう。 ブライアンのファンは、「もしも」をこよなく愛する人間たちなのである。 「もしウィルソン兄弟の父親がああいう人間でなかったら」 「もし『ペット・サウンズ』以降のブライアンの曲の価値を、メンバーやレコード会社の人間たちが理解していたら」 「もしヴァン・ダイク・パークスのような資質を持った、ビーチ・ボーイズ初期からのオリジナル・メンバーがいたら」 ビートルズは成し遂げたことを評価される、代表的なロック・アイコンだが、ビーチ・ボーイズが、というか、ブライアン・ウィルソンは成し遂げられなかった見果てぬ夢を、結果的にではあるがファンに託す格好となった。 ピンク・フロイドにおけるシド・バレットにも似たところがあるだろう。 最高傑作なのに、そこには断片しかないから『この先は自分で想像=創造してみてくださいね』と言われれば、リスナーそれぞれの果てない夢を思い描くから、その夢の頂は成層圏を突き抜けるほど高くなる。 そんな思いはやっぱり幻でしかないことで、ファンはさらに胸焦がれることになってしまう。 矛盾に満ちたファン心理の多くは、ブライアンの残してきた繊細で温かな曲と共鳴し、さらに深く森に迷い込む…。 1988年、ブライアンはファースト・ソロ・アルバム「ブライアン・ウィルソン」を発表した。 その事実だけを書けばなんでもないことだが、これは「スマイル」頓挫以降、ドラッグによって「廃人同様」とまで言われた彼が完全復活したことを意味する。 ホワイト・ハウスに招かれた、アメリカン・ドリームの体現者でもあったビーチ・ボーイズのリーダーであったブライアンの復活は、多くの人々の心を揺さぶった。 ジョン・レノンが射殺されたという現実的な悲劇から、人々が生死を揺すぶられたのと全く反対に、ブライアン・ウィルソンは死の淵から蘇ったことで、人々にあふれる夢と感動を与えたのだった。 「隠れた人」ブライアンが、メンバーでもあった弟のカールやデニスよりも長生きし、珠玉の作品集を届けてくれていることもまた、「夢のような」という形容を用いてしまう、困ったファン心理なのだった。 |
ビーチ・ボーイズとの出会い 僕の世代というのは、学習というものが「神器」であった時代の最後の世代といってもいいだろう。今では何事も生真面目に勉強するかのごとく知識を増やして自分を大きくして、という発想がなんと古ぼけて見えることか。しかし兎にも角にも、三つ子の魂百まで。幼年期から青年期に至る間を学習神話に浸って生きたのだから、僕は当然のように、今まったく流行らない「コツコツ勉強」をどこかでしているように思う。 洋楽をはじめて能動的に聞き始めた頃、同時代的な当時流行の音を「うるさい」と感じたものだった。要するに、ゲート・ドラムのスネア音に集約される、音の輪郭やアタックをやたらと強調したミキシングが鼻についたということなのだが、当時の僕はそういう音に感応することがどうしてもできなかった。だから、はやい段階で興味が60〜70年代のロックに絞られていったのも無理はない。 しかし、時代背景や人生体験のないまま、歌謡曲に慣れきって育ってきた自分の音楽性を欧米のロックやポップスに向けるには、ちょっとした「聞く耳」のようなものが要請される。そうやって少し敷居の高い「洋楽」に入っていった記憶がおありの方も多いのではないだろうか。そうして「コツコツ洋楽勉強」のようなものが始まる。やはり僕のまわりで、感性一本槍で「昨日初めて海外のLP買ったんだけど、あのフランク・ザッパっていうの、いいよ」なんて言い出す中高生なんていなかった。 その頃、僕はビートルズ階段をあるところで上れずにいた。"Drive My Car"や"Michel"あたりはまったく問題はなく素直に楽しい。しかし、「"Strawberry Fields Forever"は、"Lucy in the Sky with Diamonds"は、いったい何なんだ!? "I Am the Walrus"って、いったい何のことを言ってるんだ!?」と、僕はそこで止まっていた。そんなとき、ノーテンキないつものカリフォルニアのちょっと軽めな歌を歌うはずのコーラス・グループが、ひどく不安定な音を流し始めた。酩酊というのとも少し違う。独特の浮遊感に、僕は新しい空気を感じた。そう、新しい窓はもう開いていた。それが"Strawberry Fields Forever"のメロトロンのイントロに繋がるものだった。 今にして思えば、わかりやすい曲だった。"Good Vibrations"。その題名の明快さがこの曲のフラワー・ムーヴメントでの受け入れられ方を表しているとも言えよう。カール・ウィルソンのあの鼻からもわっと抜けてきた声が"I love the colorful cloth she ware"と歌うなら、人は誰もママス・アンド・パパスやサマー・オブ・ラブや、ペイズリー模様のシャツを思い描くことだろう。しかし、こういう曲がCFバック・ミュージックとして取り入れられたりする時代の変容に驚きつつも、実はまったく購買意欲促進などに役立っていない気がするのは僕だけだろうか。あの曲は、ブライアン・ウィルソンがリリカルに蒼く震える自己内省の「ペット・サウンズ」と、見果てぬ夢・幻となった古きよきアメリカの一大絵巻になるはずだった「スマイル」の間に描いた3分間シンフォニーである。ヘッドフォンで聞けばいつだって、あのはじめてこの曲を聴いたときにも感じた静的な興奮が透明なコーラスを伴って蘇ってくる。 その後のこのバンドの、決して報われないドタバタ劇とその音を、僕はそれでも愛しつづけてきた。これはプロ野球で言えば、阪神という球団を応援することと似ているかもしれない。 〜その後 ブライアンは初のソロ・アルバム「ブライアン・ウィルソン」発表後、完全復活し、同年にビーチ・ボーイズは「ココモ」を全米No.1シングルとした。 ブライアン名義でも、公式アルバムとしても"Smile"が発表された。 メンバー間の訴訟や、デニスのみならずカールまでこの世を去ったことなど、四分五裂していたビーチ・ボーイズが、2012年にブライアン+マイク・ラヴ・+ブルース・ジョンストン+アル・ジャーディンで"That's Why God Made the Radio"を発表した。 世は常に移ろうものとはいえ、驚きの連続である。 |
ALBUM
Surfin' Safari 1962年 | |
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Surfin' USA 1963年 | |
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Surfer Girl 1963年 | |
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Little Deuce Coupe 1963年 | |
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Shut Down Volume 2 1964年 | |
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All Summer Long 1964年 | |
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The Beach Boys' Christmas Album 1964年 | |
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Beach Boys Concert 1964年 | |
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The Beach Boys Today! 1965年 | |
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Summer Days (And Summer Nights!!) 1965年 | |
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Beach Boys' Party 1965年 | |
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Pet Sounds 1966年 | |
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Smiley Smile 1967年 | |
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Wild Honey 1967年 | |
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Friends 1968年 | |
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20/20 1969年 | |
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Sunflower 1970年 | |
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Beach Boys' 69 1970年 | |
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Surf's Up 1971年 | |
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So Tough (Carl and the Passions) 1972年 | |
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Holland 1973年 | |
Mount Vernon and Fairway (A Fairy Tale)
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The Beach Boys in Concert 1973年 | |
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15 Big Ones 1976年 | |
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Love You 1977年 | |
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M.I.U. Album 1978年 | |
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L.A. (Light Album) 1979年 | |
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Keepin' the Summer Alive 1980年 | |
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The Beach Boys 1985年 | |
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Still Cruisin' 1989年 | |
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Summer in Paradise 1992年 | |
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Stars and Stripes Vol.1 1996年 | |
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THE SMiLE SESSIONS | |
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That's Why God Made the Radio 2012年 | |
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MEMBER'S SOLO
BRIAN WILSON |
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Brian Wilson 1988年 | |
I Just Wasn't for These Time 1995年 | |
Orange Crate Art (Brian Wilson & Van Dyke Parks) 1995年 | |
Imagination 1998年 | |
Live at the Roxy Theatre 2000年 | |
Pet Sounds Live 2002年 | |
Gettin' in Over My Head 2004年 | |
Smile 2004年 | |
What I Really Want for Christmas 2005年 | |
That Lucky Old Sun 2008年 | |
Reimagines Gershwin 2010年 | |
DENIS WILSON |
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Pacific Ocean Blue 1977年 | |
CARL WILSON |
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Carl Wilson 1981年 | |
Youngblood 1983年 | |
MIKE LOVE |
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Almost Summer (Celebration featuring Mike Love) 1978年 | |
Celebration (Cerebration featuring Mike Love) 1979年 | |
Looking Back with Love 1981年 | |
BRUSE JOHNSTON |
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Surfin' 'Round the World 1963年 | |
Going Public 1977年 | |
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my best song Darlin'
my best album Wild Honey
my best lyrick Surf's Up
my best music You Still Believe in Me
my best arrange Heroes and Villains
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