East - BANGKOK


東に向かう開発の嵐

 バンコクは遷都以来、東に延びている都市である。チャオプラヤー川に沿ったラッタナーコーシン島や、その南東に開けた中国人街のヤワラートがかつての繁華街だったが、今ではもっと東のサイアム周辺が中心街である。そして、そのさらに東側に延びるスクンヴィット通りは国際都市バンコクらしく、インド人・韓国人・日本人など諸外国人の居住区となっており、それに伴って目覚ましい開発の嵐がみられる地域である。1997年に鳴り物入りでオープンしたエンポリアムはその象徴である。

 2006年にスワンナプーム空港が完成したことや、もともとバンナー地区に開発に適した土地が多いこともあって、今後さらに東部への開発が広がるものと思われる。BTSもこの地域へと延伸工事を進めており、将来はパーク・ナームまで延伸されるものとみられている。シーナカリン通りも拡張工事が行われ、ますますバンナー地区の重要性は高くなっていくだろう。

 南北に延びる川の東側に拓けた街が、さらに東側に延びていくこの街の造りは、どこか台北を彷彿させる。初めてアジアにふれた台湾と、初めて海外に暮らすことを決めたタイの、それぞれの首府が似ていることは、僕にとっては不思議な事実である。




スクンヴィット

 タイきっての大通りといえば、ホアランポーン駅前から始まるプラ・ラーム4や、パタヤーまでの途中のチョンブリー手前まではハイウェイも合わせると実に16車線もあるバンナー=トラートドンムアン空港と都心を結ぶウィパワディ・ランシット通りなどを思い浮かべるが、外国人バンコク居住者にとってバンコク市内の目抜き通りといえば、このスクンヴィットが真っ先に上がるだろう。

 その延長線上にあるプラ・ラーム・1通りもあわせれば、もっとも大きな繁華街サイアムとチッドロム、インド・アラブ人街と不夜城の顔を併せ持つナナ、オフィスの集まるアソーク、日本人居住区といっても過言ではないソイ39や49、瀟洒だといわれるトンローと東行きバスターミナルを構えるエカマイ、電気の街プラカノン、大型スーパーのロータスやカールフールができたオンヌット、郊外都市バンナー、とめまぐるしく地域性を変えながらバンコクを出て、チョンブリー、パタヤー、ラヨーン、チャンタブリー、トラートを経て、最終的にはカンボジア国境へと続く。

 この通りにはフォーリナーが多い。それがこのバンコクという都市の一面を映し出している。


●BTSナナ駅〜ベーリン駅まではスクンヴィット通り上を走っている。
スクンヴィット通り


アソーク  スクンヴィット・ソイ21

 番号が若い方が韓国人街、大きな方が日本人街となっているアソーク。この道は、南北に接しているのがソイではなく通りで、しかもその通りが南北ともにバンコクの大動脈であるラチャダー・ピセーク通りであることから、「路地」と訳されるソイのイメージがほとんどない。

 アソーク交差点は交通の要所で名も知られる渋滞ポイントだが、BTSと地下鉄の連絡駅になったことで、一躍脚光を浴びている地域でもある。長らく廃墟のままだった南東角のエクスチェンジ・タワーや、空き地にオープン・バーの並んでいた北東角のインターチェンジ・タワーがオープン。さらに北西角も「ターミナル21」の名前で開発が行われており、急激に模様替えされている。2007年に開業したグランド・ミレニアム・スクンヴィット・ホテルも背が高く、目立つ存在だ。

 交差点を南に入ると、2004年末にオープンしたベンジャキティ公園がある。タバコ公社横の池を利用して、その縁を周遊できるようになっており、ランニングをしたい人には人気がありそうだ。この周辺はもともとスラムに近い雰囲気を持った場所で、クロントゥーイ交差点までの間は、以前その場所がどうだったかを思い出すのが難しいくらいになっている。また、スクンヴィット・ソイ16もサーヴィス・アパートなどが登場して、お洒落なカフェの姿も増えてきた。

 一方、交差点西側は、スクンヴィット・ソイ19の入り口にあるロビンソン・デパートとウエスティン・グランデ・ホテル、、その向かい一帯にあるシェラトン・グランデ・ホテルなど、改装などはあっても、ここ数年建て替えなどは少ない。スクンヴィット・プラザやタイムズ・スクエアには韓国料理店が多く、日本人にも人気である。

 アソーク交差点北西の片隅に、アソーク市場が残っている。小さなスペースしかないが、スーパーでは手に入らない野菜などが売られている。いつまでも活躍してほしい。この向かい側には、ゴー・ゴー・バー街で有名なソイ・カウボーイがあり、夜にはネオンが眩しい。ここから程ないところに日本人の多いマンション群がいくつもあるので、不思議な感覚である。

 アソーク・ソイ4は、ソイの中を通ってプラカノンにまで出ることができるようになっており、その一帯こそまさしく日本人居住区である。また、このソイ4はアソーク・ソイ1と向かい合って十字路を作っており、こちらもナナまで抜けられるようになっている。残念ながらこの十字路を横切ってソイ1とソイ4を車で移動することはできないが、アソークでUターンを利用すれば行き来もできる。

 アソークの中ほどに、ホテル化と見まごうバムルンラート病院がある。日本人以外にも実に国際色が豊かな病院である。

 アソークの北側には、タイ最大手の芸能プロダクションであるグラミー社があり、この周辺で有名人を見かけることもあるという。また、その近くには日本発のカラオケ店ビッグ・エコーがある。運河を越えればすぐにペッブリー通りとの交差点。地下鉄ペッブリー駅もある。さらに北に進むとラチャダー・ピセーク通りの繁華街へと続く。


●BTSアソーク駅、または地下鉄スクンヴィット駅下車


トンロー  スクンヴィット・ソイ55

 スクンヴィット通りソイ55は、トンローの名で親しまれている。以前は北側が行き止まりとなっていたが、現在はセーン・セープ運河に架橋され、ペッブリー・タット・マイ通りと繋がっている。ソイの名のわりに片側3車線を有し、ロット・デーン(赤バス)と呼ばれるミニバスがソイ内を往復している。このバスは長らく値段が3バーツだったが、原油価格上昇に世界中が揺れた時期に価格が倍になり、いったん5.5バーツとわずかな値引き価格で据え置かれたものの、タイでの労働者最低賃金上昇に伴って、2011年から7バーツに上昇した。

 外国人居住区でもあるせいか、この通りには瀟洒なイメージが強く、殊に2004年8月、トンロー・ソイ15にヴィラ・マーケットを含んだ複合施設のJアヴェニューがオープンしてからは、このソイ内の新旧交代は加速し、スクンヴィット側のパーク・ソイを除いては、昔ながらの風情が瞬く間に消えた。

 パーク・ソイには個人商店がまだ多く残っていて、規模は大きくないが、周辺は多少市場に近い雰囲気を持っている。深夜まで営業している果物屋と花屋は、場合によっては重宝する。セヴン・イレヴン前には屋台も出る。

 トンロー・ソイ2には筒状のマンション=フィフティー・フィフス・タワーが建っており、トンローのランドマークの一つとなっている。階下のショッピング・センターは10〜20年ほど前の雰囲気を残していたが、改装を終えて生まれ変わった。

 トンロー・ソイ4と6の間に長らく残されていたユア・プレイスの廃墟跡にマーケット・プレイス(現トップス)が鳴り物入りでオープンし、この成功がJアヴェニューの導火線となったと考えられる。トンロー初のスーパー・マーケットのオープンで、2000年ごろまでにはパーク・ソイにセヴン・イレブンが1軒あっただけの状況とは隔世の感となった。専門店スペースが2008年ごろに南にわずか広がり、トンロー・ソイ4に抜けられるようになっている。

 トンロー・ソイ10はエカマイに抜ける大きな道で、いくつかのバーやディスコが大成功(ラヴ・シックやブーズなど)したあと、今ではクラブやフットサル場で人気を博している。Oishiの創業者で、現在マイタン社長であるタン氏のプロデュースによる、複数のラーメン店が軒を並べた「らーめんチャンピオンズ」がフットサル・コートと同じ敷地内にオープンしており、この場所にはほかにも居酒屋やスイーツの店などが次々と開店している。

 トンロー・ソイ13入り口のトン・クルアンはいつも賑わっているタイ料理店で、日本人にも以前から人気が高い。ソイ13の奥には日本村と呼ばれる、日本料理店のみが軒を連ねた小さな一角があり、近頃ではタイ人にも人気を博しているようだ。日本村のオーナーが開発したのが、スクンヴィット・ソイ26の「日本街」である。さらに奥に進んでソイ49に突き当たると、サミティヴェート病院に出る。日本人の利用の多い大病院であり、2階のエントランス・ブース右手の突き当りには日本人対応の受付が存在する。


●BTSトンロー駅下車


エカマイ  スクンヴィット・ソイ63

 以前から交通の要所として知られているスクンヴィット通りソイ63は、エカマイという通称のほうがはるかに有名である。北側では高速道路を含んだエカマイ=ラームイントラ通りやペッブリー・タット・マイ通り、プラ・ラーム9通りに接しており、南側にはパタヤー、ラヨーン、チャンタブリー、トラート方面への窓口となるエカマイ・バスターミナル(東ターミナル)が存在している。

 シャッターを閉ざしたままのくすんだ街並みが多いように感じられたのも今は昔。トンローの急発展がエカマイに飛び火したような形で、クラブが軒並みオープン。エグゼな雰囲気を漂わせまくる若者たちの一大ナイト・スポットと化した。また、その少し以前にビッグCも開店しており、地獄の渋滞はますますひどくなっている。夕刻には端から端までの所要時間が1時間かかるということもざら。

 以前は日本人の駐在員の居住区として知られた(おそらくバンコク日本人学校への通学が便利なため)が、現在その中心は西(スクンヴィット・ソイ39〜49周辺)へと移動している。エカマイの恒常的な渋滞と、日本人御用達のショッピングに適した施設や店が発達しなかったことが原因だと思われる。

 エカマイのパーク・ソイは再開発で見違えるようになった。時代を偲ばせるスーパー・マーケットが建て替えられ、その向かい側ではバーンラーイ・カフェが、煉瓦造りの遺跡を思わせる雰囲気を出している。2012年には駅に直結したショッピング・センター「エカマイ・ゲートウェイ」もオープンしている(ただし、所在地はスクンヴィット・ソイ42のパーク・ソイで、正確にはエカマイに接していない)。エカマイ・ゲートウェイは7階建てで、1階に日系のマックス・ヴァリューが入居しているものの、スーパーやレストランが目立つ一般的な大型商業施設ではなく、IT関係や携帯電話・楽器店などのフロアが充実しており、低層建築の他のショッピング・センターとは趣を異にしている。また、2階には日本食の店が目白押しであるほか、日本のアイドル・コンサートやアニメ・フェア、日本の郷土料理などが催されており、タイ人客に日本を押し出したイメージ戦略で好評である。

 2005年にはエカマイ・ソイ6〜8の区画にビッグCがオープン。トンローでのJアヴェニューやマーケット・プレイス(現トップス)の成功後、エカマイに火がついたことを感じさせる大型店舗のオープンだった。ビッグCにしては比較的小さな店舗展開だが、これ以降、エカマイにはクラブやパブが雨後の筍のようにオープンしてゆく。

 エカマイ・ソイ5はトンロー・ソイ10と同一のソイであり、トンローの項に書いたとおりの盛況。このソイはエカマイ・ソイ10とも繋がってソイ・プリディー・パノムヨン(旧名ソイ・プラ・カノン)に出ることができ、トンロー側ではトンロー・ソイ13にほど近い3差路に出る。こうしてナイ・ソイ(ソイの中)を辿りながらプラカノンやクローン・タン(スクンヴィット・ソイ71)からアソーク(スクンヴィット・ソイ21)まで抜けることができて、日本人の多い地区を横断してゆく形になる。

 エカマイ・ソイ9近くにあった名うてのクラブ、サンティカは新年早々、ニュー・イアー・カウントダウン後に全焼して世間を驚かせた。最近はとんとタイ・ミュージックを聴く機会が減ったので、クラブ事情には疎いが、そんな僕でさえ名前を聞くことがあったくらいだから、やはり人気のハコだったのだろう。死者約60人、負傷者200人以上を数えた大火災だった。僕はそのニュースを旅行先のチャンタブリーで聞いて、失礼ながら、なんだか遠いところで起こっていることのように思えたことを覚えている。

 エカマイ・ソイ21の近くに、2004年ごろまでおいしいカォ・トム屋があった。しばらく店に行かない間にご主人のオヤジさんがいなくなって、尋ねてみたら「アメリカに行った」と言っていたので、店を継いでいた息子さんも向こうへ行ってしまったのかもしれない。僕だって、しばらく店に行かなかったのは、その1年少し前にタイ生活を切り上げていたからだ。また同じ場所に戻ってきて暮らし始めるとは思っていなかったくらいなので、実際、巡り合わせの積み重ねだなとつくづく感じる。

 エカマイがセーン・セープ運河に近くなったところに、エカマイのランドマーク的なツイン・マンションのタイ・ピン・タワーがある。バンコク日本人学校に近いせいか、以前はここに日本人が多かったが、以前ほどではなくなっているようだ。これは同じくかつて日本人に人気の高かったエカマイ・ソイ10とソイ12のコンドミニアムやマンションにも言える。


●BTSエカマイ駅下車


プラ・カノン  スクンヴィット・ソイ71

 BTSが開通するまで、プラカノンはバンコクの外れのイメージだった。少なくとも旅行者には。日本人の居住区であるアソーク(スクンヴィット21)〜エカマイ(スクンヴィット63)の眼で見ると場所は近いのだが、この周辺は電化製品の店が多いことと、ジャスコがあることくらいしかポイントがないような気もしていた。

 しかし、プラカノンは周辺に住むタイ人には値段の安い市場として知られている。家で食事を作ることを覚えてから、プラカノンの重要性はぐっと変わってきた。クロントゥーイ市場のように喧騒と生臭さに包まれながらの買い出しよりも気軽で、規模もそこそこ大きい。そして、衣料品も充実している。目を引くようなシャツなどないが、安さに任せてあれこれ手を出してもいいという感覚が嬉しい。

 プラカノンからクローン・タンまで北に延びるスクンヴィット・ソイ71は「ソイ・プラカノン」の名で親しまれてきたが、いつの間にか名前が「ソイ・プリディー・パノムヨン」になっている。プリディー・パノムヨンは、第2次世界大戦中に日本と同盟国となっていたタイでセーリー・タイ(自由タイ)というタイ解放を目指す結社を率い、戦後にタイが戦争責任を不問とされることに成功した元首相の名である。

 先述の大きな市場と電化製品街のあるプラカノンの南側は、スクンヴィット通りと接しており、その近くではバンコクの大動脈であるプラ・ラーム4通り(ラマ4世通り)とスクンヴィット通りが合流している交通の要所である。また、クローン・タンと呼ばれる北側ではペッブリー通り・ラームカムヘーン通りとも繋がっていて、こちらも一大交通ジャンクションとなっている。この十字路のそばに空港までのアクセス鉄路であるエアポート・リンクのラームカムヘーン駅がある。

 クローン・タン船着き場には現在もミンブリー方面からプラトゥー・ナームを結ぶ運河ボートが運航している。以前、ドンムアン空港近くのイン・チャルン市場横まで走る、休止されてしまった運河ボートとの乗り換え場所だったためか、他の船着き場より造りが若干しっかりしている。また、プラカノン市場のはずれ、オンヌット方面とスクンヴィット通りを繋ぐ橋の袂にも船着場があり、ソイ・オンヌットにほぼ沿った路線を運行している。この運河周辺は一段と庶民的な空気が強く、ほとんど路上店と言ってもいいような散髪屋さんがあったりする。

 プラカノン郵便局は長らく田舎風情の残ったのどかな場所だったが、2007年ごろに改装を終わった。この郵便局はスクンヴィット・ソイ69にあり、このソイの奥には沖縄料理店「金城」がある。オーナーが替わってからは雰囲気が垢抜け、客層も広がっている。


●BTSプラカノン駅下車




オンヌット  スクンヴィット・ソイ77

 今や、在バンコク日本人の根城の一つとなったオンヌット。テント屋根の露店街がセンチュリープラザという4階建てのショッピングコンプレックスに生まれ変わり、BTS乗降客の数にも舌を巻く。20年という月日の中で、これほどまでに印象を変えた場所はない。

 そして、綺麗になったオンヌット・マーケットに、アオリイカや干し肉など、スーパーでは手に入らないものを、さっとスクーターで買い物に行くようになった。なんとなくできた夫婦の役割分担で、毎晩料理を作るようになったからだ。最も変化したのは僕のほうかもしれない。


=2002年頃の記=

 これまた同じく、BTSが開通するまで、オンヌットはほとんど旅行者に知られることのなかった地名だったと思う。ただ、僕自身は旅行時代にしばらくオンヌットに滞在した。どういう感覚だったのかを想像するのはかなりあてずっぽうに近いのかもしれないが、カオサンがパック・パッカーの街として定着していたBTS開通以前、貧乏旅行者たちは東バスターミナルのあるエカマイあたりをバンコクの東の端だと認識していたのではないだろうか。

 市の中心部から言えば、クローン・タン運河を越える橋の向こうにあるオンヌットは、まだ下町っぽさの残ったタイ人エリアである。プラカノンまでは外国人の住むマンションがまだ目につくが、運河を越えるとその様相がずいぶん変わる。

 まず、この長いソイにはソン・テウが往復している。ソン・テウに乗っているタイ人を見かけると、どこかしらまだ旅行気分が感じられるのだ。パーク・ソイの市場の賑わい方もどこかおっとりしているし、運河橋下の露店はいっそう庶民的である。ロータスに続いてカールフールもオープンしており(カールフールはその後、ビッグCに吸収され、「ビッグCエキストラ」という店舗に生まれ変わっている)、こちらはバンコクだなぁという雰囲気で、非常に対照的。

 オンヌットはこれまでの南北に抜けるソイとは違い、スクンヴィット通り自体がクローン・タン運河の橋のところで南北に走るようにカーブしているので、東西を結ぶソイとなっている。東側は最近開発が目立つシーナカリン通りに接しており、巨大ショッピング・コンプレックス、シーコン・スクエアまでソン・テウで結ばれている。また、パタナカーン通りとの間を抜けるソイもあり、その周辺はさらに緩やかな雰囲気。オンヌットのすぐ北側を走る運河にはボートが運航している。

 いつも混雑しているので、このソイの中を通る機会は最近ほとんどないに等しいが、少しさびしい。


●BTSオンヌット駅下車


クロントゥーイ

 アジアで2番目の規模のスラム、クロントゥーイ。1番規模はスモーキー・マウンテンの存在で知られたフィリピンのトンドだが、その訪問時にフィリピン人の友達と訪れることがなかったら、おそらく恐い目にあったのだろうなという、あのひりひりした感じがない。空気が緩やかである。

 クロントゥーイはバンコク内の区でもあるが、その名の有名なのは、クロントゥーイ市場のおかげである。朝から深夜まで24時間オープンしているこの市場はバンコクでも有数の規模で、様々な食材が手に入る。自炊をするまで、僕にとってこのドブと生鮮食品の臭いに包まれた人いきれの絶えない市場は、アジアン・テイストを体現した写真撮影にもってこいの場所というだけの存在だったが、自身が買い物に出かけるようになってからは、なくてはならない市場となった。たとえばパック・プラン(ツルムラサキ)やホイ・チェリー(巻貝と言っていい大きさのタニシ)のような地方特産品が場外市場で手に入ったりするうえ、値段もおおむねスーパーの半額以下である。市場の中にも車やバイクが行き交い、買い物をするにも気合いが必要だが、それだけの汗をかく価値がある。

 クロントゥーイ・70ライにはSVA(シャンティ国際ボランティア会)という曹洞宗系ボランティア団体の事務所があり、その1階は子ども図書館となっている。また、プラティープ・ウンソムタムがスラムの教育振興のために設立した1日1バーツ学校(現ドゥアン・プラティープ財団)もクロントゥーイに設立されたものだった。


●地下鉄クロントゥーイ駅下車


ラームカムヘーン

 35000人もの在籍生徒を抱えるラームカムヘーン総合大学があるこの通りは、言わずもがな学生街である。日本の学生街が雀荘やパチンコ屋などで賑わっているのに対して、バンコクでは衣料やアクセサリー、ケータイ用小物などの小売店や露店がひしめきあっている(残念ながら露店は2016年11月28日に行政指導で撤去)。もちろん食堂や屋台も軒を連ね、狭い歩道はすれ違うのに苦労するくらいだ。学生が対象となっているため、ラームカムヘーンでのショッピングは値段が安い。ショッピングにはもってこいである。値切りがきく店も多いので、店員との駆け引きを楽しめる。

 ザ・モール百貨店があるほか、メジャー・シネプレックスも2軒、ビッグCが1軒。そのほかにもショッピング・コンプレックスが数軒あるが、わりにこじんまりしたところが多い(のち、ザ・モールは道向かいの店舗を手放して規模を半減させ、こちらもこじんまりしてしまった)。
 また、ファマーク・インドア・スタジアムもあり、有名人のコンサートなどもよく開かれている。そのすぐ近くには、ハイソ系で知られるABAC(アサンプション大学)もあり、こちらはインター校につき、英語での授業を行っている。

 ラームカムヘーン通りはもともと車線の数が少なく、渋滞の名所。時間には余裕をみて動きたい。


●市バスやタクシーでアクセス。パヤタイとスワンナプーム国際空港を結ぶ高架鉄道=エアポート・リンクにもラームカムヘーン駅があり、実際にラームカムヘーン通り南端に接しているが、ラームカムヘーン通りの中心街は駅からずいぶん先にあり、徒歩でのアクセス圏内とはいえない。
※ 2023年に地下鉄オレンジライン開通予定(タイカルチャーセンター〜ラームカムヘーン〜ミンブリー方面)


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生肉屋台よ永遠に!



運河ボートの果てに「ラオス料理店」??? 〜飛行機の墓場に行く前に〜



飛行機の墓場とは? 〜バンコク郊外に飛行機の残骸展示が!?



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心霊スポット到着??? @

心霊スポット到着??? A

心霊スポット到着??? B

オンヌットの生地屋さん

シーコンスクエア

シーコンスクエア

シーコンスクエア

シーコンスクエア





エクスチェンジ・タワー

長らく廃墟だったが、地下鉄の開通でオープン。
インターチェンジ・タワー

撮影時はまだ内装工事中。
アソーク交差点のタイ国軍

2006年の国軍クーデターでは、アソーク交差点にも軍人が。
ターミナル21の開発工事

アソーク交差点周辺はにわかに活気づいている。
アソーク市場の中

敷地はせまいが、けなげに営業中!
ベンジャキティ公園

王妃の記念に建てられた、タバコ公社横の公園。
池を囲む形で造られている。
ベンジャキティ公園北のビル

ワン・トゥー・ゴーはタイの格安航空会社。
旧日本大使館ゲート

ペッブリー通りとアソーク通りが交差したところにあったが、用事はシノタイ・タワーの領事部で受け付けており、訪問の機会がなかった。
現在、大使館は領事部を兼ねてルンピニー公園の向かい側に移動。
トンロー・パークソイの果物屋

深夜まで営業しており、思い立ったら果物が買えるので重宝。
トンローに面していた茶房「チャイナ・ジャーナル」

暗い照明が落ち着きを生んでいた。
マーケット・プレイス(現トップス・マーケット)

それまで大型ショッピング・センターのなかったトンローに、2002年オープン。
周辺の施設を含め、トンロー・タウンセンターと呼ぶということを、HPのための調査で初めて知った。
バー"Love Sick"

トンローソイ10の大人気バーだった。
バンコクのはやりすたりはサイクルが早すぎる。
スイーツ店「マンゴー・タンゴ」

閉店してしまったのが残念でならない。
駐車場がなかったのが敗因か?
日本村

スクンヴィット在住の日本人なら、知らなきゃモグリ。
トンロー・ソイ15にある、日本食の集まった一角。
昔からの高床式の建物

トンローにもまだ健在!
プレイグラウンド

現在は名前も変わってしまったが、この頃は面白いテナントがいろいろあった。
Jアヴェニュー

トンローの風景が一変する起爆剤となった。
2004年8月オープン。
それまでトンロー・ソイ15はまったく何もないところだった。
日曜タラート

ハイソなトンローでもお構いなし。
エカマイ・バスターミナル

パタヤーやラヨーン、チャンタブリーなどへのゲート・ウェイ。
エカマイ・パークソイの再開発

現在はモダンな複合ビルが建っている。
エカマイのカフェから出たところ
ビッグC・エカマイ店

2005年オープン。
エカマイのイメージが変わる発端となった。
エカマイの渋滞

いつも混雑しているが、週末はさらに悲惨。
エカマイのバー:「バー・ブ・リー」

店内にはオープン・エアーの寿司バーもある。
エカマイ・ソイ5角にあるミニの販売店
エカマイ・ソイ5の廃墟ビルにオープンしたバー
ワット・パーシー

周辺にお寺の少ない地域にあり、ローイ・クラトーンでは賑わう。
エカマイ・ソイ23にある。
エカマイにあるインディペンデント・音楽レーベル「スモールルーム」のスタジオ

バンコクの最先端を走るレーベルの一つ。
クローン・タン駅に続くタラート

エカマイ通りがペッブリー通りに突き当たった向かいにある。
プラカノンのソイ

閉店した映画館が長らく放置されていた、風情の残った一角。
沖縄料理店「金城」

スクンヴィット・ソイ69にあるが、プリディー・パノムヨンのソイからもすぐ。
ジャスコ・プラカノン

早くから出店している日系スーパー。
プラカノン郵便局

バンコク東部の大型郵便局。
撮影時は大規模リノベーション中。
プラカノン市場

生鮮食品もいいが、衣類も安い!
オンヌットのソイの中(1998年)

まだまだ田舎風情漂う風景だった。
クロントゥーイの貨物線路(1998年)

線路が歩道に。
国鉄線路脇はバラック小屋が並ぶ。
SVA子ども図書館

クロントゥーイ・70ライにあるSVA事務所の1階に開設。
訪問時は工事中だった。
クロントゥーイ市場

豚の顔の皮も、このとおり。
クロントゥーイ市場

生きた鳥が籠の中に。
ワット・クロントゥーイ・ナイ

クロントゥーイ港入り口脇のソイにある。
周辺はかなり庶民的。
プラプラデーンの先に行く渡し船の乗り場が近い。
ザ・モール

日本のラーメン屋としては進出の早かった味千ラーメンが入居。
メジャー・シネプレックス・ラームカムヘーン

メジャーはバンコクのあちこちにある映画館チェーン。
セントラル・ラームカムヘーン

ザ・モールの牙城にもセントラルが出店。
ラームカムヘーンのソイ

学生街となっている。


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