MAE SAI


坂のある町

 ビルマと接した国境の町として、タイ最北端の町として、あるいはサーム・リアム・トーン・カム(ゴールデン・トライアングル)への中継地点として、メー・サーイは多くの旅行者の目指す土地となっている。初めてのときは、僕もその3つの意味をこめてこの地を踏んだ。しかし、地図上の一ポイントが立体的で血の通った「本来の街の姿」に変わるのが旅の醍醐味。「メー・サーイ」と聞くと、ほかの何物でもない、この街自体の輝きを持って僕の胸は軽く乱れる。

 ローカル・バスにゆられて一時間。チェン・ラーイからの道のりは爽やかだ。もしチェン・ラーイからバイクを走らせることができたら、よりその思いは高まるだろう。道はあまり上下しないのに、山が次々と視界を去ってゆく。風はやわらかく、空が遠い。そうして到着するメー・サーイの街は、坂の似合う街だ。
山がちな地形の日本に暮らしていると、知らずと視界に山が入ってくることが多い。しかし、バンコクあたりでは、まったく山の影を認めることがない。坂もない。坂があるというそれだけで、僕等の心は郷愁をそこに見出す。写真の家族は、道の下(街)に去ってゆく車の姿をいつまでも見送っていた。車はすぐに見えなくなったが、それがあたかも地平線の向こうに消える姿までを見届けようとするかのように、微動だにしなかった。
砂利道の向こうにはビルマが見えている。


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footprints


2011年訪問
メー・サーイ国境門

2000年過ぎに、大きな門が完成。
メー・サーイ=タキレック

国境橋から臨んだ風景。
左がタイ領、右がビルマ領。
パホンヨーティン通り

土産物屋には中国人の姿が増えている。
以前よりずっと賑やかになった。
パホンヨーティン通りの起点はバンコクアヌサワリー
土産物通りの一つ。

アーケード状になっていて、時代が変わったことを思い知らされた。
新しいショッピング・センター

お洒落なスポットも急増中。
新しい建物

めまぐるしい開発が続いている。
仏像を作っている人

石の研摩中。
仏像の元となる石

大まかな形が作られたまま転がっていた。
日本人向けの看板
1998年訪問
市場前の坂道に夕陽が輝く

この写真を大阪のタイ雑貨販売店のお兄ちゃんに見せたら、「この写真を撮った位置のすぐ横が、僕の実家の店だよ!」と懐かしそうだった。
朝の子坊主さんたち

ビルマ側から来たのだろうか、僧衣の色が違う。
国境側から見たパホンヨーティン通り

メー・サーイのメイン・ストリートである。
段ボールを回収する男たち

黙々と働いていた。
以前のメー・サーイ国境

門が完成するまでは、いつでもひょこっと通り抜けられそうな気がする国境だった。
街外れの山から

バイクで周囲を廻ってみたときの写真。
国境警備の兵士が多い。
バンガロー

山肌にへばりつくようにバンガローが並ぶ。

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