いかにこれまで自分が表層の中で踊らされていたのかを、いま聴く彼の音楽は教えてくれる。 YMOを含むテクノ期や90年代のアンビエント期の細野晴臣を、僕はこれまで、ファッショナブル、インテリジェンス、インダストリアル、そして何よりテクノ・ポップという言葉で括って、自由な耳で聞いてこなかったことを心の底から恥ずかしく思っている。 例えば、アルバム"Philharmoney"の"Sports Man"。当時、80年代の東京を彩る時代賛歌のように聴こえたこの曲が、いまヘッドフォンで僕に伝えてくれるのは、世界中でもこんなに温かな電子音楽を表現することができたのはホソノさんしかいないだろうという強い印象である。 また、アルバム"Medicine Compilation"の"Aiwoiwaiaou"を友人宅で聴かせてもらったときには、ちょっと退廃的にクールなかっこいい曲という印象でそれきり数年前にCDを購入するまで耳にできていなかった。この曲に流れている、命と向き合った人間の静けさが、アンビエントで聴かせる16ビートという音楽像とぴったり重なり合っていることに、僕はまったく気づいてこなかった。そして、「あいをいわいあおう(愛を祝い合おう)」という、母音だけを用いた歌詞の発想もまた、母音が生命や血液を連想させる音列であることも、CDを聴いて初めて理解した。 細野晴臣は音を用いて絵を描いたり物語を書いたり夢を再現したりすることのできる、感覚における天賦の才とそれを表現する職人的なたゆまぬ努力家の両面を兼ね備えた趣味人なのだと、今の僕はそう思っている。坂本龍一が彼の音楽的な資質について、自分たちが理論を重ねた上に解釈を得た現代音楽のエッセンスの部分を嗅覚で嗅ぎつけて肉食獣的に食らいつく印象を持っていたというような発言をしていた記憶があるのだが、この言葉もまた彼への賛辞として読むことができるようになった。 いとうせいこうとの対談で、積年変化を積極的に評価していた細野晴臣と同じように、僕も思う。年齢を重ねた分だけホソノさんの音楽への理解が深まってよかった。一生身辺に置いておきたい小説や絵画が、年齢を違えれば解釈も味わいもまた以前とは異なる鮮やかな側面を輝かせるように、彼の音楽は過去の音源であっても常に現在形であり続ける。その曲をよく聴いた時期のことを思い出させてくれる古ぼけたアルバムのようなものとは、まったく次元が違う位相に存在するのだ。 あなたの楽曲を同時代に聴くことができてよかった。 |
2000年の記述
誰がなんと言おうと、細野晴臣が日本ポピュラー・ミュージック界の手塚治虫であることは間違いない。こういう芸能世界では「誰がこういう手法をやり始めたオリジネイターなのか」とか「どれだけ表現力の幅を持っているクリエイターなのか」といった部分での話題が多くなるのだが、多くの漫画家が「つまるところ漫画というものは手塚治虫の表現フィールドなんだ」とリスペクトを遥か越えた表現を取るように、細野が70年代から果たしてきた日本の世俗音楽での試みの上に多くの音楽的事象は起こってきたようなものだ。これは目の付け所がいいとか流行の先取りだとかいう以前の問題だろう。彼がやっている音楽はもちろん自己表現ではあるが、その自己が社会と大きく取り結ばれているから、彼の音楽は世情やその中での個人というものを表出せざるを得ない。 ご多分に漏れず、僕もアフター・YMOよりはチャンキー時代(「トロピカル・ダンディー」「泰安洋行」「はらいそ」の3作を発表した頃)のほうに思い入れが強いクチだが、それはスピード感とともに閉塞感の増すこの時代への懐疑と疲労から来る懐古ではないかとも思う。細野が表現する音楽が時代と個を取り結ぶ鏡であるならば、彼が何度か表舞台からリタイアしそうになるのも頷けるし、それでも音楽と立ち向かう理由も判る。そして、僕ら一ファンが「古きよき頃」への安易な逃避願望を抱きがちなことも。 ただ、盟友久保田真琴との「ロード・トゥ・ルイジアナ」や松任谷正隆抜きの再結成“Tin Pan”をステレオで流しながら、「そろそろ感傷的懐古ではなく、本当に息せき切って走りすぎた時代のことをいま一度思い改め、そこから降りる準備をする時代が来たのではないか」と長すぎるデフレ不況を窓の外に眺める今日この頃である。 |
細野晴臣の変遷
@ アングラ・サイケデリック期
エイプリル・フール | エイプリル・フール |
はっぴいえんど | はっぴいえんど |
時代の波をもろに受けたバンド、エイプリル・フールには薄暗いアングラ趣味とサイケが交錯している。細野の個人的な音楽性がはっきりとは見えてこず、彼の多大なバイオグラフィー上では唯一、アルバム上に彼の音楽性が確立していない時期だと言ってもいいかもしれない。細野はエイプリル・フールを「コピー・バンド」「一種のダンス・バンド」だという。アメリカン・バンドのコピー曲でプレイヤーとしての力量を示し、観客を踊らせる半面、オリジナル曲では何をどう表現してよいのか捉えきれていなかったからだということである。音を聴くよりも、アラーキーのジャケ写真がより鋭く時代を切り取っている。
はっぴいえんどのファーストでも、特に細野作品にはこの志向がまだ続いているのだが、日本語のロックという命題によじ登るための試行錯誤がヘッド・アレンジを大きく膨らませており、レコーディングの可能性を考えたアルバムとなっている。ちょうど「エイプリル・フール」と「風街ろまん」を繋ぐ地点の楽曲であることを強く匂わせるが、これは音楽と自己表現に真摯で誠実な彼には、常に起こってくる現象である。ただ、サイケとファンキーさに裏打ちされた時代性を強くにおわせる細野楽曲に、若い頃の彼の音楽的な原石を垣間見ることができて嬉しい。
A シンガー・ソングライター期
風街ろまん | はっぴいえんど |
Happy End | はっぴいえんど |
ホソノ・ハウス | ソロ |
ジェイムズ・テイラーや、ソロになったポール・サイモンから影響を受けて、自分の声の響かせ方を考えた彼のつぶやき型の歌唱が完成し、松本隆の詞が描く「失われたかつての東京」という街の幻影である「風街」のコンセプトとぴったりはまったのが、はっぴいえんどのセカンド・アルバムである「風街ろまん」。もはや「日本語によるロック」を否定することはだれにもできなくなったという歴史的価値だけではなく、その歌詞と音・アレンジとの結びつきようは、アイデアに関しても、音の乗り具合に関しても、これ以上のものを作りたければ、このアルバムが下敷きにしたものをどこかで利用しなければならないレヴェルである。名盤の誉れは永劫失われることはないだろう。名曲の誉れ高い「風をあつめて」「夏なんです」のようにフォーキーな作品は後の初ソロ作「ホソノ・ハウス」に繋がる萌芽を感じさせる一方、珍しい全編ファルセットで歌われる「あしたてんきになあれ」のご機嫌なリズムとブラック・テイストが細野フィルターを通して和物に仕立て上げられているのが痛快だ。「暗闇坂むささび変化」で見られるカントリー志向について、細野は自身の音楽体験の根底にあるものだと発言している。
サード・アルバム"Happy End"での細野作品は、新たなグルーヴ感を醸し出すことに成功している。「風来坊」は後の彼が音響を強く志向するになるであろう予感をたっぷり湛えた名曲で、音がどこまでもふわふわと飛翔してゆく。弾むようなアコースティック・ギターのリフが効いた「相合傘」でも言葉のノリを重視した歌詞の選び方が冴えわたっている。矢野顕子もカヴァーした「無風状態」の、ロックもフォークもサイケもブラック・ミュージックも飲み込んだ存在感も息をのむ。さらには、3人の共作になっている「さよならアメリカ、さよならニッポン」はヴァン・ダイク・パークスの「ソング・サイクル」を思い起こさせる音のミニマル万華鏡だが、この後の細野晴臣の曲に対する姿勢に莫大な影響を与えている。時間とともに曲が展開していく中でどの部分に何を仕掛けるかという発想をしていた自分たちが、いきなり西洋の遠近法のような音のアレンジに遭遇し、絶頂期のリトル・フィートのレコーディングに接した興奮とともに、得難い体験をすることができたと、細野は述懐している。
精神的に疲労していた時期に、自宅をプライヴェート・スタジオにして完成された初めてのソロ「ホソノ・ハウス」は、最もフォーキーな作りとなった。内省的でもあるが、そのあり方はもはや時代性うんぬんよりも、現在我々が感じているものに近い手触りである。当時の細野の自宅である狭山でのホーム・レコーディングは当時、ほとんど誰も行ったことのない稀有な発想で、肉薄した生の音が聴こえるようだ。彼のアルバム群の中でも内省的な重みが前面に出ており、異彩を放っているが、初ソロにふさわしく、彼の裸の部分を垣間見られるアルバムでもある。
B チャンキー+フュージョン期
トロピカル・ダンディー | ソロ |
キャラメル・ママ | ティン・パン・アレー |
泰安洋行 | ソロ |
ティン・パン・アレー2 | ティン・パン・アレー |
はらいそ | 細野晴臣&イエロー・マジック・バンド |
精神の閉塞から解き放たれ、これまで幼少期から触れてきた音楽要素を一挙に噴出させることで、彼はトロピカルな世界へと突入する。世界中のさまざまな音楽を取り込み、西洋から見た東洋の珍妙なイメージを逆手にとって「さよならアメリカ、さよならニッポン」に対するその時点での自分なりの答えを出したと言ってもいいかもしれない。それが「トロピカル・ダンディー」である。題名どおりカリブのイメージが強いほか、「絹街道」「北京ダック」のように中華趣味も伺える。当時彼はそのコンセプトを「ソイ・ソース・ミュージック」と表現していた。LPのB面にはヴォーカルを抜いたカラオケ曲が2曲含まれているが、これは曲数を揃える前に燃え尽きたからだという。リスナーとしては不満かもしれないが、一曲一曲に精魂を込めた職人技を投入する細野晴臣の仕事を思えば、僕はこの話に深く頷いてしまう。
その音楽の振れ幅をさらに広げ、「チャンキー・ミュージック」という標語のもと、徹底的に深化させたのが「泰安洋行」。こちらもアルバム・タイトル同様、ハワイやニュー・オーリンズなどの香りを持つ、海と航行を感じさせる楽曲がずらりと並ぶ。一方、古きよき時代の日本や沖縄音楽など、土着的アプローチが瑞々しく輝いている。目を閉じると世界旅行だけでなく、時間旅行もできる。「分離の悪い音」に音が塊となった力があるという認識は、90年代にレア・グルーヴの流行とともに定着したが、このアルバムの頃にはひたすら分離がよくリヴァーブの効いた録音が求められていた。しかし、ここで聴ける音はそれとは正反対の方向を持っている。しかも、レア・グルーヴで評価されたガツンとくる音ともまた違った、湿ったアジア的な空気感を真空パックできたこのアルバムのレコーディングは奇跡的ですらある。山下達郎が評価したというのがよく分かる。
「はらいそ」は同じ路線でありながら、レコード会社移籍とともに、レコーディングで整理されたクリーンな音処理とシンセの導入によって、手触りが変容している。レコーディング・メンバー「イエロー・マジック・バンド」には高橋幸宏・坂本龍一も在籍しており、これがのちにYMOへと繋がる布石となるが、キャッチーな楽しさはこれまでの作と共通している。ビートの面白さよりもうわものの煌びやかさが耳を捉え、コミカルな演出とともに、軽みが本作の身上である。だがその一方で、空に浮かんでいた前2作の世界を地上から見下ろしたような感覚だったと語るように、醒めたドライな視線も感じられ、ラストに収録されているアルバム・タイトルと同名の曲「はらいそ」では「桟橋からあの異国の船に飛び乗ってアディオス」と歌われたりもする。ちなみに、はっぴいえんどのラスト・アルバムでも細野は「無風状態」にて船をテーマにしており、一つの時代を終える自身の心情を、飛行機の離陸でも列車やバスの出発でも、また歩き出すのでもなく、出港に重ねるところに神秘的なロマンを感じる。
その一方でこのトロピカル三部作の間、細野は日本のマッスル・ショールズを標榜するスタジオ・セッション集団ティン・パン・アレーに身を置き(というより率いて)、さまざまなシンガーに質の高いバンド演奏を提供している。中でも大瀧詠一の「ナイアガラ・ムーン」と荒井由実の初期3作までの演奏は、日本屈指の名演であろう。あまりにもフュージョンに流されすぎたティン・パン・アレー名義のセカンドはややいただけないが、このユニットがまだバンドであろうという意思を持っていた頃のバンド名を冠したファースト・アルバム「キャラメル・ママ」では、素晴らしいバウンド感や情緒たっぷりのプレイが楽しめる。
C テクノ・ポップ期
コチンの月 | 細野晴臣&横尾忠則 |
イエロー・マジック・オーケストラ | イエロー・マジック・オーケストラ |
ソリッド・ステイト・サバイバー | YMO |
増殖 | YMO |
横尾忠則とともにインドを旅行したのちにまとめた「コチンの月」は、YMOへの布石とだけ考えればいいだろう、と個人的には思っている。
これまでのエキゾチック路線を流行のディスコ・ビートに乗せて、欧米でヒットさせようと考えたところからスタートしたというYMOは、ファーストの段階ではまだこれまでの彼の楽曲の手触りをある程度残した「ファイアークラッカー」のような楽曲もあるが、スペース・インベーダーのようなテレビ・ゲームが音楽の先を行こうとしている様を見て触発されたとか、クラフトワークの機械的な反復ビートの快感やジョルジオ・モロダーのテクノ・ディスコ・ポップの発想などを咀嚼しようという息遣いが聴こえる。テクノ・ポップのピコピコ音は単純明快なキッチュさと、それをアイロニカルな視線で眺めながら取り扱う彼ら独自の姿勢で昇華され、大人の戯画というべき風情を湛えている。
スタイリッシュで徹底的にポップなテクノ・バンドという個性=アイコンを確立した「ソリッド・ステイト・サバイバー」で、とうとう彼らは大衆にブレイク。細野の目論みは成功したが、人気者という立場を背負い込むことにもなってしまった。たしかに「ライディーン」「テクノポリス」は万人受けするメロディーのよさと軽快なビートを身に纏っている。だがその一方で抽象的なテクノ曲も数多く登場しており、後に彼らがアルバム"BGM"で、売れていることをいいことに一般受けするはずのない楽曲を発表してしまうという荒業の片鱗がすでに見て取れる。音のエッジが鋭くなり、ロック的な要素も浮かび上がっている。
「増殖」は空間を感じさせる音作りに洗練の二文字が思い浮かぶミニ・アルバムである。ポップ・カラーを身に纏いながら諧謔的な表情をしたテクノの位置づけは、本作で最高潮に達している。曲間に入るスネークマンショーのシュールな手触りのお笑いが、さらにそのポイントをはっきりと照らし出し、やたらと明るいのに陰に満ちた80年代の日本を象徴している。音が整理され、空間を感じさせるようになったのもこの意匠を押し出す装置となっている。
D ニュー・ウェーヴ期
BGM | YMO |
テクノデリック | YMO |
フィルハーモニー | ソロ |
浮気なぼくら | YMO |
サーヴィス | YMO |
S-F-X | ソロ |
売れている立場を利用して、売れるはずのないとんでもないアルバムを買わせてしまおうと確信犯で発表した「BGM」は、ウルトラヴォックスから影響を受けた冷たく重い音で満ちている。ここにきて音は抽象性を増し、機械音から生まれる音のイマジネーションをどう構成するかに心血が注がれるようになった。音響派としてのテクノの黎明である。YMOはテクノ・ポップに位置するユニットではあるが、その名から「ポップ」が消えた「テクノ」の意識は本作から溢れ出ており、細野晴臣と高橋幸宏の「翳りある欧州路線」が爆発している。
それを若干明るく肯定的な姿勢に方向性を改めたのが、「テクノデリック」である。前作の時期に最も精神的に荒れていた坂本龍一の復調がその底辺にあるだろうと考えられる。彼の作である"TAISO"はその方向性を強く打ち出した作風で、インダストリアルな重さを、本来のテクノ・ポップから逸脱しているはずのピアノのリフレインで吹き飛ばしている。
「浮気なぼくら」は「君に、胸キュン」のヒットで知られる、開き直りアルバムである。すでにメンバーには解散状態であるという認識があった中で、人気者路線を歌ものに乗せ、すでに彼らにとってこれはただの皮肉に満ちたファン・サーヴィスであった。
だからこそ、ラスト・アルバムはそっくりそのまま「サーヴィス」と名づけられている。テクノと黒っぽさとの折り合いを目指した意欲はあるが、手慣れた職人芸の域を出ていないように思える。
細野のソロ作である「フィルハーモニー」では、80年代のニュー・アカデミズム真っ盛りの東京のほか、ヤン・シュヴァンクマイエルを想起させる東欧的な印象や、ナチス・ドイツの映像が浮かぶような工業的な手触りが強くなっている。電子機器の操作を会得したうえでイミュレーター(サンプラー)を手に入れた細野は、また彼らしい音絵巻を見せてくれたと言えるだろう。その一方で、彼のヒューマン・ライクな電子音の温かみのある処理に、スティーヴィー・ワンダーのシンセ音のような独自性を感じずにはおれない。
「S-F-X」では高速32ビート導入という、後のドラムン・ベースを思い切り先取りした手法を導入。音像の開拓とテクノロジーの利用こそ、細野の音楽史に一貫する柱だと感じさせられる。
E ワールド・ミュージック期
オムニ・サイトシーイング | ソロ |
日本の人 | HIS |
世はとうとうワールド・ミュージック・ブームに突入。欧米先導型のロック/ポップス界からの脱却が起こる。チャンキー以来の細野晴臣の音世界がとうとう理解される頃には、彼自身はトロピカル・ミュージックはおろか、テクノも越えてしまっていた。デジタルと生音との気高い融合を見せた「オムニ・サイトシーイング」では、時空を超越した音楽での複合的観光が楽しめる。
次の「日本の人」では、忌野清志郎・坂本冬実と、アルバム・タイトルどおり、日本そのものについて現代と切り結んで見せた。
F アンビエント期
メディスン・コンピレーション | ソロ |
ラヴ、ピース&トランス | ラヴ、ピース&トランス |
「メディスン・コンピレーション」では、もともとブライアン・イーノからの影響があった彼は、沈静した覚醒をテーマにしている。隙間だらけで空間の広がりを意識した抽象的な音の向こうに、スピリチュアルな癒しを求める音作りで、アルバム作成の最後に「何かが足りない」と加えられたトラック"AIOIAWIAWO"のような、本来ファンク・チューンとされるはずの楽曲のアンビエント調理法にはただただ唸るばかりである。
G その後
スウィング・スロウ | スウィング・スロウ |
ロード・トゥ・ルイジアナ | ハリーとマック |
Tin Pan | ティン・パン |
オーディオ・スポンジ | スケッチ・ショウ |
トロニカ | スケッチ・ショウ |
ループホール | スケッチ・ショウ |
HAS/YMO | HASYMO |
もはや手法としてひとつの路線にのめり込むことなく、さまざまな音楽スタイルをその場によって表現しているのが現在の彼のスタイル。これまでにもともに仕事をしてきたコシミハルとのスウィング・スロウ、「泰安洋行」作成時前後から交流の深い久保田真琴と組んだハリーとマック、ティン・パン・アレーの林立夫と鈴木茂とのティン・パン、元YMOの高橋幸宏とのスケッチ・ショウ、その発展形で坂本龍一まで加えこんで実質上のYMOメンバーとなったHASなど、いわゆる回帰現象が起こっているのも、ミュージシャンとして、クリエイターとして、完結編に向かっているのだろう。その集大成が初ソロ「ホソノ・ハウス」以来のすべて歌ものアルバムという謳い文句の"HoSoNoVa"だろうか。
細野晴臣と鈴木慶一 |
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ALBUM
ホソノ・ハウス 1973年5月25日 | |
A Side
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トロピカル・ダンディー 1975年6月25日 | |
A Side
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泰安洋行 1976年7月25日 | |
A Side
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はらいそ (ハリー細野とイエロー・マジック・バンド) 1978年4月25日 | |
A Side
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コチンの月 (細野晴臣&横尾忠則) 1978年9月21日 | |
A Side ホテル・マラバル
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フィルハーモニー 1982年5月21日 | |
A Side
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花に水 1984年9月10日 | |
A Side
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メイキング・オブ・ノンスタンダード・ミュージック 1984年11月10日 | |
A Side Making of NON-STANDARD MUSIC
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S-F-X 1984年12月16日 | |
A Side
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銀河鉄道の夜 / サウンドトラック 1985年7月7日 | |
A Side
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コインシデンタル・ミュージック 1985年8月21日 | |
A Side
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マーキュリック・ダンス 1985年9月21日 | |
A Side 天川〜戸隠サイド
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パラダイス・ヴュー 1985年9月21日 | |
A Side
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エンドレス・トーキング 1985年10月21日 | |
A Side
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紫式部 源氏物語 / オリジナル・サウンド・トラック 1987年11月21日 | |
A Side
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omni Sight Seeing 1989年7月21日 | |
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メディスン・コンピレイション 1993年3月21日 | |
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グッド・スポーツ 1995年9月10日 | |
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ナーガ 1995年10月25日 | |
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メゾン・ド・ヒミコ 2005年8月24日 | |
Disc 1 オリジナル・サウンドトラック メゾン・ド・ヒミコ
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フライング・ソーサー1947 (ハリー細野&ワールドシャイネス) 2007年9月26日 | |
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エクスマキナ 2007年10月17日 | |
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グーグーだって猫である / サウンドトラック 2008年8月27日 | |
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HoSoNoVa 2011年4月20日 | |
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代表的参加バンド・ユニット
エイプリル・フール | 「エイプリル・フール」 |
はっぴいえんど | 「はっぴいえんど」 |
「風街ろまん」 | |
「Happy End」 | |
「The Happy End」 | |
ティン・パン・アレー | 「キャラメル・ママ」 |
「ティン・パン・アレー2」 | |
YMO | 「イエロー・マジック・オーケストラ」 |
「ソリッド・ステイト・サバイバー」 | |
「パブリック・プレッシャー」 | |
「増殖」 | |
「BGM」 | |
「テクノデリック」 | |
「浮気なぼくら」 | |
「サーヴィス」 | |
「テクノドン」 | |
フレンズ・オブ・アース | フレンド・オア・フォー? |
デクライン・オブ・OTT | |
セックス、エナジー&スター | |
HIS | 日本の人 |
ラヴ、ピース&トランス | ラヴ・ピース&トランス |
細野晴臣+ゴウ・ホトダ、ビル・ラズウェル、寺田康彦 | N.D.E. |
細野晴臣+ゴウ・ホトダ、ビル・ラズウェル | インターピーセズ・オーガニゼイション |
スウィング・スロウ | スウィング・スロウ |
HAT | 東京-フランクフルト-ニューヨーク |
DSP ホリデイ | |
ハリーとマック | ロード・トゥ・ルイジアナ |
スケッチ・ショウ | オーディオ・スポンジ |
トロニカ | |
ループホール |
APRYLFOOL | |
エイプリル・フール (エイプリル・フール) 1969年9月10日 | |
A Side
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はっぴいえんど | |
はっぴいえんど (はっぴいえんど) 1970年8月5日 | |
A Side
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風街ろまん (はっぴいえんど) 1971年11月1日 | |
A Side 「風」
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Happy End (はっぴいえんど) 1973年2月25日 | |
A Side
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Tin Pan Alley | |
Caramel Mama (ティン・パン・アレー) 1975年11月25日 | |
A Side
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Tin Pan Alley 2 (ティン・パン・アレー) 1977年9月5日 | |
A Side
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ティン・パン (Tin Pan) 2000年11月22日 | |
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Yellow Magic Orchestra | |
イエロー・マジック・オーケストラ (YMO) 1978年11月25日 | |
A Side
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ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー (YMO) 1979年9月25日 | |
A Side
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パブリック・プレッシャー (YMO) 1980年2月21日 | |
A Side
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増殖 (YMO) 1980年6月5日 | |
A Side
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BGM (YMO) 1981年3月21日 | |
A Side
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テクノデリック (YMO) 1981年11月21日 | |
A Side
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浮気なぼくら (YMO) 1983年5月24日 | |
A Side
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サーヴィス (YMO) 1983年12月14日 | |
A Side
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テクノドン (YMO) 1993年5月26日 | |
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Friends of Earth | |
フレンド・オア・フォー? (フレンズ・オブ・アース) 1985年12月16日 | |
A Side
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デクライン・オブ・O.T.T. (フレンズ・オブ・アース) 1986年3月21日 | |
A Side
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セックス、エナジー & スター (フレンズ・オブ・アース) 1986年5月21日 | |
A Side
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HIS | |
日本の人 (HIS) 1991年7月19日 | |
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Love, Peace & Trance | |
ラヴ、ピース & トランス (ラヴ、ピース & トランス) 1995年1月21日 | |
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細野晴臣&ビル・ラズウェル(+ゴウ・ホトダ・寺田康彦) | |
N.D.E. (細野晴臣+ゴウ・ホトダ、ビル・ラズウェル、寺田康彦) 1995年4月26日 | |
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インターピーセス・オーガニゼイション (細野晴臣&ビル・ラズウェル) 1996年2月21日 | |
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Swing Slow | |
スウィング・スロウ (スウィング・スロウ) 1996年10月25日 | |
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HAT | |
東京-フランクフルト-ニュー・ヨーク (HAT) 1996年12月21日 | |
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DSP ホリデイ (HAT) 1998年6月21日 | |
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Harry & Mac | |
ロード・トゥ・ルイジアナ(ハリーとマック) 1999年10月21日 | |
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Sketch Show | |
オーディオ・スポンジ(スケッチ・ショウ) 2002年9月19日 | |
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トロニカ(スケッチ・ショウ) 2003年2月26日 | |
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ループホール(スケッチ・ショウ) 2003年11月27日 | |
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my best song ハリケーン・ドロシー
my best album はらいそ
my best lyrick 恋は桃色
my best music ウォリー・ビーズ
my best arrange プリオシーヌ
links of Haruomi Hosono
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